成功と幸福について

ALS生活, オンラインサロン, 父からの手紙

長い間、成功は幸福の条件だと思ってきました。

20代のころは、成功とは乗っかったレールの中で成果を出していくことだと思っていました。それなりの大学を卒業して、大企業の研究部門へ就職し、順調に成功の階段を上っているかのようでした。

結婚もして息子も二人生まれて、外からは幸せに見えていたかもしれません。

ところが、10年くらいたった30代中ごろに、このままでは幸せになれないと思うようになりました。いわゆる会社での評価と、自分にとっての目標が一致していないことに気づいたからです。

これは、シリコンバレーに一年住んで、独立自尊で自由な空気に触れたことも影響していたと思います。

そこから35歳で社内の事業部門に希望して異動し、さらに40歳でベンチャー企業に転職して、最後は47歳で組織に属さない働き方を選択することになりました。安定からも成功からも遠ざかるようで、さらに苦労もしたので幸せともいえない時期もありました。

それでも独立してからは、新たな出会いが増えて行きました。そのおかげで仕事も困らなくなり、自分が好きなことをする時間も増えて、幸福感も上がっていきました。

48歳にしてようやく気付きました。

成功とは他人の基準で決まるもの、幸福とは自分の基準で決まるもの。

もっと早く気づいたらよかったんですけどね。

 

当時それまでの仕事経験を活かして、新事業開発のコンサルティングをしていましたが、ほとんどの人が社内での評価を求めているだけで、それ以上の成功を求めていないことに気づきました。というより、自分を幸福にする方法を知らないので、他人の評価しか基準がないようでした。以前の自分と同じでした。

 

何故そうなのか、自分はどうなのかを探求し始めたころのALS発症でした。

告知されたころは、成功からも幸福からも遠ざかるばかりでどん底でしたが、発症から5年たち比較的体調が安定している今は、結構幸福感を感じて生活できるようになっています。自分は何に幸せを感じるのか、自分の心と対話していて、それができるようになっているからです。

もし成功というか他人の基準で生きていたとしたら、いまでも限りない絶望感のままでいたでしょうし、気管切開も選択しなかったと思います。

最近よく思うのは、自分の心と対話することが日々の幸福感の原動力であり、そうして日々を過ごしていくことが、死ぬときに自分で自分を成功したと思えるのではないかということです。

うまくいくこともうまくいかないこともあるでしょうが、すべてまるっと受け止めて日々を送りたいものです。