ALS進行と療養の経緯(9) 〜 2017年後半

ALS生活, 発症と療養の経緯

ALS生活も発症から4年半を過ぎ、気管切開をして比較的安定した生活を送れるようになってきました。

引き続き、時系列でトピックスを列挙する形で、療養生活を振り返っておきます。

7月

【社会】

BS-TBS「夢の鍵」という番組が吉藤オリィさんの継続取材をしています。その一環で、支援する患者の一人として初のテレビ出演を果たしました。

また、「難病と在宅ケア」という雑誌に、療養生活の紹介を寄稿しました。これは、もともと春に出るはずで1月に執筆していたのですが、パソコンの入力がどうにもならず延期してもらっていました。手術後に視線入力環境を使って、ようやく完成できました。

【介護】

入院中に申請していた重度訪問介護の支給時間が317時間となりました。これで、週2回夜間の見守りに入ってもらえる事業所が見つかり、少し前進しました。

8月

【体調】

気管切開後の新しい生活に慣れるのに精いっぱいの時期でした。

【介護】

地域の事業所では重度訪問介護ヘルパーの確保が難しく、いよいよ自分で確保しないといけないと決心し、全国広域協会の指導を受け始めました。

求人の仕方も教わったのですが、ベンチャー時代にさんざんやった求人活動を思い返すと、人を雇うにあたり自分の中にピースが足りないと感じて、拙速はやめることにしました。準備はするが時期を待つ、ということです。経験的に、決心をしておけばいずれ求める形が現れるという確信がありました。

【社会】

所属する、日本ALS協会神奈川県支部のサイトリニューアルを手がけました。告知後の患者や家族は、藁をもすがる思いでネット検索をしますから、神奈川の患者・家族・関係者に届くといいなと運営しています。

9月

【医療】

下肢のさらなる衰えを感じ、また体幹がいつまでもつかという心配もあって、8月終わりから、再び新潟病院にリハビリ入院。7月中旬に申し込んだのに、病床がなかなか空かずに待たされたのです。大人気のようでした。3回目の入院で、顔見知りの看護師やリハスタッフも増え、快適な入院生活を送れました。

HALで歩行訓練

長期で入院している同病患者の方たちとの交流も新鮮な経験でした。

残念だったのは、退院後の予定が詰まっていて、リハビリが不十分と感じる中で退院したことです。今回が最後かもと思っての入院でしたが、まだ行けそうだったので、もう一度来るよと誓いました。

【体調】

このころから、気管切開まわりの生活や、口からの食事も安定して食欲も増え、気持ち的にとても前向きになっていきました。

【社会】

遊び仲間に、奈良の薬師寺に連れて行ってもらいました。薬師寺の食堂(じきどう)が再建立されたばかりということで、壁画の曼陀羅が見たかったのです。

京都駅までは新幹線、そこから薬師寺のある西ノ京駅までは近鉄に乗りました。

宿泊は京都駅前のホテルを使いました。京都内は介護タクシーで移動です。観光都市なので、運転手も慣れたものでした。

食事は、障害者対応になれた懐石料理屋を手配してもらいました。すべて刻み食にしてくれて完食。ビールも飲んで、友人たちとの時間を心から楽しむことができました。

介護ベッドはないので、友人たちに介助を頼みました。男手が数人あると、とても楽ですね。助けてもらえば、旅行もできるんだと実感できる旅行でした。

薬師寺本堂にて

10月

【社会】

外出が多い月でした。自分は外出するんだ、するんだ、と言い聞かせていました。

  • 友人の会社の10周年パーティ出席
  • 楽天オープン観戦
  • オリィ研究所の5周年パーティ出席
  • 島根大学伊藤先生の日本賞プレゼンのお手伝い
  • うんちマンフラッシュモブ参加
オリィ研究所のパーティにて視線で動かす車いすに乗せてもらう

なんといっても象徴的なのは、ハロウィンのうんちマンフラッシュモブの参加です。非日常の演出は障害者の社会参加の一つの実験だと思いました。

【体調】

体重が65キロ近くまで回復しました。昼は麺類(ほとんどマルちゃん正麺)を砕いて、とろろを混ぜて食べています。術後は半袋しか食べられなかったのですが、このころには一袋食べられるようになりました。

また、呼吸機能は自発肺活量は少しずつ減少しているものの、LIC Trainerを用いた最大肺活量は改善しており、せめて呼吸筋の柔軟性を維持し無気肺は予防したいと頑張っています。

一方、手の機能は落ちるばかりで、視線入力の決定に使っていたスペックスイッチ(押しボタン)が押せなくなりました。より小さな力で反応するピエゾスイッチへの移行を余儀なくされました。

11月

【介護】

突如、自薦ヘルパーをやってもよいという方が出現し、10月後半から広域協会の協力と指導を受けて、その手配に奔走しました。

そのなかでCIL(障害者自立支援センター)の方からいくつか講義を受け、重度訪問介護は障害者が生きる権利を勝ち取るための、30年を超える運動の賜物と学びました。日本ALS協会も30周年を迎えており、改めて先人の努力に感謝し、自分たちはその上に何を築いていくのか考える機会となりました。

出現したヘルパーさんは、現在週3日+外出支援で8時間前後入ってもらえるので、妻の負担は大きく改善されました。

8月にオリィ研究所のOrihime Switchを購入すべく申請していた、障害者補装具費が助成されました。川崎市第1号となり、他の患者さんたちの道を開くお手伝いになるかと思います。

【社会】

神経難病の療養生活を楽しく続けていくには、地域に密着したコミュニティが必要と手術前後から考えるようになりました。患者仲間と一緒に、川崎市北部・中部の神経難病患者関係者のコミュニティ「つながろ会」を始めて、第1回会合には16名の方にご参加いただきました。継続がカギなので、小さく始めて大きく育てたいと思っています。

12月

【介護】

全曜日の朝に身体介護1.5-2時間、重度訪問介護は週3日は日中フル、週2日は午後2時間、週3日は夜間フル、という体制となりました。まだ家族介護の比率が高いですが、1年前から前進しました。来年は、妻の手を煩わせることなく自由に外出できるようになるのが目標です。

一方、訪問入浴サービスの事業所が突然閉鎖となりました。週3日のお風呂はとても快適だったし、何よりスタッフが楽しい人たちだったので、とても残念です。介護業界は厳しい経営環境に置かれており、それ自体に継続的なサービス提供のリスクがあると痛感する出来事でした。

【医療】

胃ろう交換と検査のために3泊4日の短期入院しました。病床が満床で慌ただしかったですが、何も問題ないようです。

【体調】

すこしずつ進行しており、特に腕や手の機能が落ちています。体幹も弱ってきましたが、まだ3時間くらいは椅子に座っていますし、立位のトレーニングも続けられています。

【社会】

一方、気持ち的には充実していて、やりたいこと・やるべきことの種まきを進めてきました。来年は、少しでも形にしていくのが目標です。