ALS発症の経緯(4) 〜 2015年前半

ALS生活,発症と療養の経緯

ALS発症の経緯を昨年末に書いてから、ほぼ半年が経過しました。

病状は確実に進行しており、肉体的にも精神的にもいろいろな変化がありましたので、時系列を意識しつつ概略を紹介していきます。

外出時は車いすを常用するようになる

昨年末までは、外出時は妻に同伴してもらって肩につかまりながらも、なんとか電車で移動していました。すでに自宅と駅の間を歩くことが危険だったので、駅までは車で移動していましたが。

年明け早々に歩行での移動を断念し、目的地までは車で移動し、そこからは車いすを利用する方法に切り替えました。

車いすは、通常の折りたたみ自走型を使用しています。介護保険によるレンタルです。

車輪を自分の手で動かして移動することができますが、最近右手の腕力が足りなくなりつつあるので、そろそろ電動車いすの検討を始めようかと考えているところです。

自宅内各所に手すりを設置

外出時は車いすを使いますが、手で掴まれる場所なら何とか歩くことはできています。とはいえ、年初から太ももの筋力が低下して立ち上がりが難しくなったり、掴まる場所がないエリアがあるので、下記の場所に手すりを設置していきました。

  • 階段:もともと壁側に手すりがあったのですが、昇降時にバランスを崩しがちなので、外側に増設しました。
  • トイレ: 小用の際はともかく、便器に腰掛けると立ち上がるのに難儀するので、腕力で体を引き上げられる位置に手すりを設置しました。
  • 風呂: 移動時にすべらないようにすることと、浴槽のヘリをまたぐ際に掴まれるようにと、3箇所に手すりを設置しました。
  • リビング: ダイニングテーブルからリビングのソファーへ移動する際に、手が届く範囲に何もないエリアがあるので、平行手すりを設置しました。

上記内容に一部写真を追加して、こちらにまとめておきました。

下肢の機能低下が進む

下肢は、筋力低下と足首と股関節の柔軟性が失われつつあります。筋力が弱ると、何気ない動作でも筋肉が頑張って硬直するので、足がスムースに動きません。

股関節の柔軟性が落ちていることもあって一歩が大きく出ず、手すりを頼りにペンギンのように移動しています。

ただ、手すりがある場所ではまだ動けるし、階段も何とかなっているので、少しでも長く機能してもらいたいと祈っています。

球麻痺が進む

球麻痺とは舌や喉の周りの筋肉が動かなくなることで、構音障害と嚥下障害につながります。

構音障害が進んで色んな音(おん)が出しづらく、また軟口蓋(のどちんこ)の垂下によって空気が鼻に抜けて普通の音量が出ないので、家族との意思疎通も不便になり始めています。鼻をつまんでしゃべると、多少ましになることに最近気づきました。

一方、口や頬の柔軟性が乏しくなり、また舌の動きが制限されるようになって、咀嚼がうまくいかなくなりつつあります。このため、食事後は顎と首周りの筋肉が疲れます。飲み込みに使う筋肉がうまく機能しないので、周辺の筋肉がヘルプしているのだそうです。

口の中から食道の入り口に食べ物を送り込む機能が弱っていて、気をつけないと水分を取る時に気管に入ってしまいます。これが食べ物を飲み込む時にも起きるようになると誤嚥して、肺炎になる可能性が出てくるそうです。

ただ、口に入れたものを食道に送り込む筋肉はまだ十分機能していて、食事が飲み込めない事態は当分先になりそうです。ここが機能しなくなると、胃ろうを作ることになります。

球麻痺の進行と並行して、息を吸い込むと咳が出る症状に悩まされるようになりました。特に何か話そうとするとひどく咳き込みます。30代後半から咳喘息(おそらくストレス性)に定期的に悩まされてきたのですが、その時と同じ対応で症状が改善しているようです。

日常生活はほぼ左手頼み

右腕はどんどん筋力が落ちていて、胸より高い位置で保持するのが難しくなりました。手首を右回りに回す力も弱ってきたので、食事の際に口元まで食べ物を運べなくなりました。

左手を右手に添えて箸やスプーンを使っていましたが、補助具でつないだ箸を試すうちに左手で使えるようになり、最近は左手で食事をするようになりました。

右手の握力は10Kg代前半になってしまいました。ペットボトルのキャップや瓶の蓋を開けるのはできなくなりました。また、ズボンのポケットに入れたハンカチをつまみ出すこともできないので、ハンカチは左ポケットに入れるようになりました。もう、ラケットを持つことはできても、振り回すのが難しいです。。。

シャワー時に頭を洗うにも、右手が上がらないので左手頼みです。シャワーを固定して、左手に頑張ってもらってます。体を洗ったりタオルで拭うのは、イスに座っていれば何とかなっています。

在宅リハビリを開始

筋力が低下してくると、体の各部位を自由に動かすのが難しくなります。たとえば、脚の蹴り上げとか、膝を胸に届くようにあげる、といった動作です。

これを放置すると、使わない筋肉はますます退化して萎縮が進み、体の可動範囲が狭くなります。また、一部の筋力が低下することで、そこが緊張しっぱなしになったり、関連する筋肉の負担が増えたりして、痛みの原因となります。

この辺りをケアするのが理学療法士の役割なのですが、通院してみてもらうのは移動が負担になります。介護事業者は、在宅での看護やリハビリを見てくれるので、2月から週1回のペースで始めて、4月から週2回に増やしています。

病院との付き合い

ALSは根治の方法が見つかっていないので、病院の主な役割は経過観察と、進行にともなって発生する問題箇所への対症療法です。

主治医は、比較的近所の聖マリアンナ医大病院で、月一回のペースで見てもらっています。ALSに強いと言われる病院を幾つか周りましたが、どの病院も基本的なスタンスが変わらないことがわかったので、変更の必要なしと判断しました。

一方、先端医療の可能性を保持し、リハビリのアドバイスを受けるために、こちらも月一回のペースで、国立精神・神経医療研究センター病院に見てもらっています。ここのリハビリ外来の理学療法士は神経難病への対応経験が豊富で、予後が見通して対応してくれます。

この病院が自宅から通える距離にあるのは、ありがたいことです。

 

社会との関わり

上述のように、病状の進行に合わせて生活環境を適応させてきました。自分一人で自由に動いて機会を得るのが難しくなり、社会との関わりについても変わっていかざるを得なくなりました。

誕生パーティを開いてもらう

告知を受けてから、いろんな友人が会いに来てくれましたが、みんなまとめてしまおうと誕生パーティを企画して開催しました。

私はやりたい方向だけ伝えて、後は事務局を引き受けてくれた友人たちにおまかせでしたが、プロジェクトを立てて参加するっていうのは、面白くて楽しいなとあらためて思いました。

稼ぐ仕事をやめる

コンサルタントとして客先に出向く仕事は、プロジェクトの区切りとなった3月で終了し、サラリーマン時代から通算25年の仕事生活を終えることとなりました。

食べるために稼ぐという側面はありますが、仕事は社会参加の第一歩なわけです。これからは、収入を得るという概念にとらわれず、自分にできることで少しでも社会参加していきたいと思っています。

おわりに

ずいぶん長くなってしまいましたが、ここまでお読みくださった方に感謝します。

最近、社会のALSの認知が高まってきたなと感じることが増えました。ALS患者は10万人に1−2人と言われますが、発症数はもっと多いはずです(近いうちに考察を書きます)。

ALSは、ご本人だけでなく家族や周囲の人々の協力を得て、付き合っていく病気です。その経過をお伝えすることで、これから病気と付き合う方々のお役に立てれば幸いです。