ALS進行と療養の経緯(10)~2018年前半
気管切開をしたのち、体調はかなり落ち着くようになりました。そのおかげで、やりたいことがやれる環境が少しずつ整っていきました。発病以来、精神的にはもっとも安定した半年だったと思います。
Contents
まずは大きな変化がなかった、体と療養生活の様子です。
体の状態
そうはいっても進行は進んでいます。
肩から先というか腕はほとんど動かなくなりました。筋力が重力に負けるだけでなく、運動神経もほとんど失われて、小脳?に記憶されているはずの運動のパターンも消えてしまった感じです。
手首と指は少し動くので、ピエゾスイッチは右手の人差指の付け根に貼っています。マウス操作と同じイメージでスイッチが押せる感じです。
脚はかろうじて重力に勝てる程度の筋力が残っていますが、動かしたいと思ってから筋肉が反応するまでの時間が長くなっています。かなり運動神経が失われてきたようです。また、ふくらはぎは、元気だったころの半分くらいの太さになってしまいました。
呼吸と飲み込みについてはあとで触れます。
リハビリには力を入れています
気管切開を機に、一切の治療薬はやめてしまいました。一切といっても、リルテックとラジカットだけですが。
その分自分でできることとして、リハビリに力を入れています。どのようなことに取組んでいるかを簡単に紹介します。
全身のストレッチ
筋肉の萎縮を少しでも遅らせるために、全身の関節を動かすように心がけています。大きいところだと股関節や肩、小さいところでは指の関節もストレッチします。訪問リハビリさんだけでなく、訪問看護士やヘルパーさんたちの協力で平日5日は毎日1時間はやるようにしています。
委縮は動かさないことで血液が流れなくなることが一つの原因と考えているためです。特に大きな関節は着替えなどの生活動作に影響するので、柔軟性を保つことが非常に重要です。
LICトレーナーと呼吸リハビリ
ALSの療養で最も大事なのは、呼吸機能の維持です。祈っていても改善しないので、国立精神・神経医療研究センター病院のリハビリ課で指導を受けています。それを訪問リハさんと訪問看護師さんが実践する形で、呼吸機能の維持に努めています。
自発吸気の数値は低下していますが、LICトレーナーというリハビリ器具を使い、胸郭のストレッチを行うことで、自発吸気の値は最近は横ばい(1100-1200cc)で最大吸気の値は改善(3600-4000cc)しています。肺を膨らませることで呼吸筋の柔軟性を保ち、無気肺を予防できるため、現在も血中酸素濃度は96-98%を維持しています。
立位とロボットスーツHAL
人間はもともと立って活動するものですし、わたしも50年間立って生活してきたので、何とか立ちたいと工夫しています。立てば太ももに力が入るので全身の血行が改善しますし、肺の背中側にも空気が入るので無気肺の予防にもなります。
立てば足を動かしたくなるし、できれば歩きたい。そのために半年に一度、国立病院機構新潟病院にリハビリ入院して、ロボットスーツHALを用いたリハビリを受けています。結構な運動になり、汗もかくし心拍数も上がるので、きっと体にもいいはずですし、精神的には間違いなく効果があります。
ことしの1-2月に1か月入院してHALリハビリを受けました。今回で4回目になりますが、来るたびに脚の動きは悪くなるし、歩ける距離は短くなっています。あと一回は行くことを決めていますが、その先はわかりません。
食事と栄養管理
私は球麻痺が早く、嚥下機能も早くに障害されました。2年前に胃瘻造設して、経管栄養を使うようになりましたが、それでもミキサー食を口からも食べています。昨年、呼吸機能が維持できているのに気管切開したのは、誤嚥防止手術を受けて口から食べ続けるためでした。
おかげで、いまでも口から家族と同じものをミキサーして食べていますし、ときどきビールも飲みます。
気管切開手術の後に、体重は61キロまで低下しましたが、今は65キロまで回復しています。筋肉量が減っているのに体重が増えると何が起きるか?そうです、腹の周りにしっかり脂肪がつくのです。体重コントロールが課題です。
ただ、少しずつ飲み込みの力は弱ってきているし、口の締まりも悪くなって口元から漏れることも増えました。少しでも、長く機能することを祈るばかりです。
介護体制
昨年11月に自薦ヘルバーをやってくれる方が見つかったこともあり、かなり生活の自由度は増しました。平日の昼間の8割ほどはヘルパーが入るので、妻は外出しやすくなりましたし、私の外出もしやすくなりました。
現在は、家族介護の時間が6割ありますが、これを3割に減らすのが当面の目標です(といって3か月成果なくて、焦り始めています…)。
介護体制の強化プランを区の障害福祉課に提出し、4月初めに現状の実績の倍になる600時間を超える支援時間を出してもらいました。しかし、学生アルバイトを含むヘルパーの調達がなかなか進まず、少し焦っています。むかしソフトウェアエンジニアの採用活動で苦労した経験を思い出して、巻直しを図らないといけません。
視線入力環境で何でもしてます
起きている間は、ほぼパソコンに向かっています。視線入力環境の整備が落ち着き、何でもパソコン上でやっています。ざっと書き出してみます。
- ウェブブラウジング、Facebook、メール、LINE・・・
- オフィス文書(PowerPoint, Word, Exel)の作成
- サイトのメンテナンス(ブログほかwordpress)
- テレビ、録画したビデオ、Amazonビデオ、Amazonミュージック
- キンドル、自炊した雑誌・書類
何でもできます。
私は視線マウスとしてHeartyAIをメインに使っていますが、オリヒメを使うときにはorihime eyeも使っています。
もともとパソコンに向かう時間が長い生活でしたから、自由にどこでも出かけることができないことを除けば、かなり以前の生活に近づいたかなと感じています。
社会参加の実際
生活が安定してきたので、社会参加につながるいくつかの活動を進めてきました。時系列で振り返ってみます。
1月
- つながろ会第2回(OEKATAの記事)
- 「一般市民向け公開報告会のお知らせ~サイバニクスと共にある未来~」にて、サイバーダイン社の新製品「Cyin」のデモ要員。(神奈川県支部の案内)
- 12月から重度障害者向けプレゼンシステムHeartyPresenterの開発を進めました。といっても、私は仕様の概略を決めるだけで、開発作業はHeartyLadder/HeartyAIの開発者吉村隆樹さんにお願いしました。
- 1月下旬から新潟病院に入院し、HALを用いたリハビリを行いました。
2月
- 中旬まで入院でした。リハビリの合間に、下旬から予定されている講演の準備を進めました。
- つながろ会第3回(OEKATAの記事)
- NEC様にて講演「難病療養に学ぶICT活用・ビジネスマネジメント」(NECサステナビリティレポート2018)
久しぶりの講演でしたが、HeartyPresenterのα版を使う初めての機会となりました。 - 聖マリアンナ医大看護専門学校講演「難病療養の事例と看護師への期待」
3月
- 日本ALS協会神奈川県支部役員会(4月の患者・家族相談会のお知らせ)
- 難病コミュニケーション支援講座講演「積極的な社会参加を目指す私の療養生活」(開催通知)
- HeartyPresenterの開発費の一部を調達しようと、クラウドファンディングに挑戦しました。4日で目標額を達成し、ネクストゴールにチャレンジしました。(ReadyForのページ)
また、毎日新聞Webニュースでも取り上げられました(「視線でプレゼン ALS患者が開発、無料公開へ」) - 患者仲間とバスケットボールBリーグを観戦しました。(ブログ)
- 53歳の誕生日に、活動報告会を開催してもらいました。(ブログ)(友人のブログ)
4月
- 日本ALS協会神奈川県支部役員会(5月の患者・家族相談会のご案内)
- つながろ会第4回(OEKATAの記事)
5月
- 日本ALS協会神奈川県支部役員会(ビデオ参加)
(患者・家族相談会、6‐7月の案内と5月の報告) - つながろ会第5回(OEKATAの記事)(神奈川県支部の記事)
- 松岡修造さんの「2020できる宣言」に出演しました(ブログ)
- 日本ALS協会年次総会に出席(案内)
- ナースフェスでうんちマンとワークショップ(うんちマンのブログ)
6月
- 父の3回忌@千葉
- 武田薬品工業株式会社湘南研究所の交流会に参加して講演「ALS療養生活の事例と創薬への期待」(神奈川県支部レポート)
- 日本ALS協会神奈川県支部年次総会(神奈川県支部レポート)
- 胃ろう交換で入院
おわりに
自分自身の予想よりはゆっくりになりましたが、それでもALSは進行しています。
先人の経験を土台にして、自分自身で考えたことに様々なご縁も交えて、私なりの療養生活が形になってきました。
日本ALS協会神奈川県支部とつながろ会の活動が、生活に良いリズムをもたらしてくれています。コミュニティに属するのは大切と、改めて思います。
HeartyPresenterの開発は、自分が得意で最も楽しいことの一つです。50代でも市場に存在意義を問えるプロダクトに挑戦できるのは、とてもありがたいとことです。
これも、身の回りを支えてくれる家族、支援者、友人のおかげと感謝しています。いろいろなプロジェクトを仕掛けている割には、のんびり過ごしているところもあって、一部の方をイライラさせていると思います。少し先になってもやり遂げるので、気長にお付き合いください。
いま私がもっとも恐れていることは、顔の筋肉が固まって笑えなくなることです。幸い表情筋はまだ動いていますが、少しずつ固くなってきたと感じます。日々上機嫌で過ごし、ときどき仲間に囲まれて爆笑することで、表情筋を維持したいです。
最期になりますが、最近の医学的成果を見ると、多くの神経難病が生きているうちに治療可能になるのでは、と感じさせるものになっています。引き続き20年後には治って社会復帰することを信じて、日々精進していきます。