キャリア・ストーリ (3)
スタンフォード大学客員研究員

キャリア・ストーリー

キャリアについて質問されることが増えたので、半生を振り返って記事を書くことにしました。悪いことはだんだんと忘れていくので、良い出来事や自分に都合の良い解釈が多いですが、ご笑覧下さい。

シリコンバレーに行きたい

WWW上で検索エンジンの研究を始めた時期に、NECの海外留学制度に合格して、1997-1998年の一年間、スタンフォード大学コンピューターサイエンス学科に客員研究員として在籍する機会を得ました。正直なところ、大きな研究成果を出せておらず英語も不得意だった自分にとって、この留学は大きなチャレンジでした。

当時の上司は、アメリカ東海岸にあるMITを強く薦めてきたのですが、ヒューマン・コンピュータ・インタラクション(HCI)について、カリフォルニアの青い空の下シリコンバレーで学びたいと思い、なんども教授に受入をお願いする手紙を書きました。半ば呆れてでしょうが、受け入れ承諾の連絡が来たことで、上司もスタンフォード行きを認めてくれました。

ウィノグラード教授に師事

指導教官は、HCI(ヒューマン・コンピューター・インタラクション)分野の大家であるテリー・ウィノグラード教授でした。彼と彼の学生からは、ソフトウェア開発におけるデザイン(意匠やUIを含む設計)の重要性とその方法について学びました。1-2014年12月23日12時52分02秒

当時のユーザーインターフェース研究は、コンピューター画面上のグラフィクス・デザインとほぼ同義であったのに対して、テリーはユーザの経験を中心とした全体設計が重要と主張し、アクション・パースペクティブと呼んでいました。いまでいうユーザー・エクスペリエンスです。

また、そのなかで異分野との交流(Interdeciplinary)の重要性も指摘していて、学外の企業人を招いての講義を運営していました(現在はWebサイトで見ることができます)。この流れで、現在のd-schoolの立ちあげメンバーとなったと聞きました。いまや商品開発の標準プロセスとなりつつある、デザイン思考の原理を教わっていたことにもなるでしょうか。

研究プロジェクトだったGoogle

スタンフォード生活で一番インパクトがあったできごとは、まだ研究プロジェクトに過ぎなかったGoogleに出会ったことです。ラリー・ページ氏はテリーの元で博士課程を過ごしている学生の一人でした。

渡米してすぐにGoogleの初期システムのデモを見る機会がありました。当時、自分も検索エンジンのブレークスルーを求めていたので、それはそれは衝撃だったことを思い出します。

スタンフォード生活が半年たった頃に、トラックポイントを発明したIBMリサーチ・フェロー宅でのパーティに誘われて出かけました。そこではGoogleの話題で持ちきりでした。多くの人が口々に、「Googleって知ってるか?あれはスゴイぞ。どうやってるんだ?」と語り合っていて、優れた発明が話題になる様子を体感したりもしました。

一年後に帰国する直前、ラリーに「Googleは起業しないの?絶対に成功するよ。」と聞いたら、「ビジネスに興味ないんだよ。特許が売れればいいかな。」という会話をしました。しかし、帰国してすぐに、アンディ・ベクトルシャイム氏からの伝説の白紙小切手の投資を受け、数カ月後には40億円の投資を得ることになりました。

ここでも、シリコンバレーのエコシステムを垣間見ることになりました。あの時会社命令に背いて現地にとどまっていたら、いったいどういう人生になっただろうと何度か夢想しましたが、過去は取り戻せませんからね。。

この一年で学んだこと

これらの経験はその後の人生観に大きな影響を与えてくれました。学科の教授や講師の皆さんから、一人ひとりの学生から生まれるアイデアをとても大切にする姿勢を学びました。その姿勢とは、常にアイデアの本質を問い、関連する事例をシェアして違いを議論し、最先端の成果に挑戦するべく鼓舞する、というものでした。

これはのちに、チームリーダーとして部下のアイデアをどう育てるかの基本的な指針となりました。

また、シリコンバレーでの人の交流を垣間見ることができ、そのダイナミズムの原動力が組織ではなく、自立した個人がつながりあう環境にあることを体感したことも、その後の自分の行動に影響を及ぼすことになりました。

現地での生活

たった一年たらずの生活でしたが、妻と生後8ヶ月の長男を連れて行きました。社会全体が子供にとても親切だったことを覚えています。英語には相当苦労しましたが、大学でできた知り合いとの交流や現地生活を通じて、日常生活と最低限の交渉ができる程度には身に付きました。これが、後日の役に立ってくれます。

当時は日本のメーカーからのシリコンバレー出向者が多数いました。NECもサンノゼに研究所を作ったり、大学時代の友人や会社のテニス仲間がいたりで、英語に疲れた時にはずいぶんと癒やされたものです。

キャリア・ストーリ 一覧
 (1) 大学・大学院まで
 (2) NEC中央研究所
 (3) スタンフォード大学客員研究員
 (4) 企業内転職
 (5) Web検索事業責任者
 (6) ベンチャー企業役員
 (7) 中国大連で会社設立
 (8) 人材交流マネジメント
 (9) 大企業の傘下へ・半年の小休止
 (10) 経営コンサルタントとして