キャリア・ストーリ (7)
中国大連で会社設立
キャリアについて質問されることが増えたので、半生を振り返って記事を書くことにしました。悪いことはだんだんと忘れていくので、良い出来事や自分に都合の良い解釈が多いですが、ご笑覧下さい。
黒船襲来
DF社に入ってから一年ほどすると、有料の高級Web解析ソリューションSiteCatalystと、無料の軽量Web解析ソリューション Google Analytics がアメリカからやって来ました。黒船襲来です。
これに対抗するために数々の施策を打ちましたが、サービス強化のために開発力の大幅な向上が重要な経営課題となりました。ちょうど不況になり、国内ではソフトウェア・エンジニアの採用が難しくなっていました。
限られた資金の中からエンジニアを大量採用するために、オフショアでのアウトソーシング開発に挑戦しようと意思決定しました。
中国大連で会社設立
種々検討した結果、日本語人材が豊富な中国の大連という都市を選び、ここで会社設立を指揮することになりました。
ソフトウェア開発のアウトソーシングなので単純に外注という選択肢もありましたが、我々の目的は自社サービスの開発にあったので、人材を長期育成するためには自社の拠点を持つべきと考えました。
設立を指揮と言っても誰も部下はいません。一人で行って、知り合いのつてを手繰って現地の人を次々に紹介してもらいながら、一人で「数码林(大連)軟件有限公司」を2007年の4月に立ちあげました。
大人気のソフトウェア開発職
自分以外は現地の人材で経営すると決めていたので、一人また一人と採用を続けて、少しずつ業務を分担してもらいました。日本語が出来る人材がはいり、幹部となる人材がはいって、ようやく組織として動けるようになっていきました。
採用活動は日本と同じで、いわゆる就職フェアと転職サイトの2本立てです。就職フェアでは、どのブースも就職を控えた大学生と転職志望の若いエンジニアが殺到していて、リーマン・ショックが来る2008年夏までは、3時間で300枚以上の履歴書が集まるのが当たり前の状況でした。
ブースで履歴書を受け取るごく僅かな時間で、直感で面談したい人を選んでおき、終了後に履歴をチェックしてさらに選抜します(たいてい、数名から十数名)。他社に決まってしまうので、すぐに電話して翌日から面接です。
在任の5年弱の間に、数千通の履歴書に目を通し数百人を面談したでしょうか。中国語がわからなくても、数をこなすと見えてくるものがあって、その直感を大切にしていきました。
転職する文化
中国人のマネジメントというと、さまざまな定説が飛び交っています。すぐに転職するというのは特に有名ですね。
経営にあたっては、安い人材を回転させて人件費を抑えるか、同じ人材を育てて成長してもらうか(同時に人件費は上がる)、という二つの選択肢がありました。どうせ転職するのだったら、常に若い人を入れ替えて人件費を抑え続けたほうがいいという考えで経営している現地企業も数多くありました。
しかし我々は、自社サービスの強化のためにソフトウェア開発子会社を作ったのです。必要なのは、エンジニアの頭数ではなく、自ら考えるようになる未来の仲間でした。そう考えると、経営方針は「人材を育てて、長く働いてもらえるようにする」に自然と定まりました。
長く働いてもらうために
さて、そうは言っても転職する文化です。どうやって長く会社にいてもらえばいいか、常識にとらわれずに考えぬいた結果、次のような方針を取りました。
- 契約を対等にし、いつでも会社をやめられる (契約期間を設定し、期間内の退職は違約金を課すのが一般的だった)
- 成長機会を提供すると同時に、半年に一回評価にもとづく給与改定をする。(ただし降給もあり)
- 評価テーブルと評価基準を開示し(給与額は開示しない)、将来展望が描きやすいようにする。
- もう一つの家族と思ってもらえるように、仕事外の活動を支援する。
大連地区のソフトウェア業界平均値として、年間離職率が20%といわれていましたが、我々は上記のような施策で、創業から3年間の離職率を10%程度と圧倒的に優れた定着率にできました。関係者の努力に感謝するとともに、誇りに思っています。
キャリア・ストーリ 一覧 (1) 大学・大学院まで (2) NEC中央研究所 (3) スタンフォード大学客員研究員 (4) 企業内転職 (5) Web検索事業責任者 (6) ベンチャー企業役員 (7) 中国大連で会社設立 (8) 人材交流マネジメント (9) 大企業の傘下へ・半年の小休止 (10) 経営コンサルタントとして