『出現する未来』~ 神奈川県の共生社会アドバイザー委嘱にあたって
神経難病・重度障害者の立場から、神奈川県・福祉子どもみらい局・共生社会推進課の活動にアドバイザーとして参加させていただくことになりました。今月から来年3月末までの5 ヶ月になります。
先週8日の知事定例会見で発表されて、昨日11日に委嘱状交付がありました。
県庁のみなさんと、神奈川らしい共生社会の実現に微力を尽くします。
知事からは、重度訪問介護制度の「就労時は支給されない」問題への言及もありました。実際に私の委嘱にはこの問題がついてくるのですが、
- 報酬は支払う
- オリヒメを用いた在宅での会議参加
- 会議参加の事前作業、事後作業の時間も対象
- オリヒメレンタル代など必要経費は負担
- ヘルパー稼働時間の負担
という対応をとっていただいくことになりました。
その上で「厚労省への働きかけを行う」と知事が発言されています。
この問題は、先の参議院選挙で当選した木村・舩後両議員のおかげで、世間に可視化されました。そもそも重度障害者に国会議員が務まるのか?という意見もありましたが、知らないことによる偏見と、私は捉えています。
この神奈川でのチャレンジでも、同様に見られる事があるかもしれません。それでも、真剣に取り組んで成果に貢献して、「テクノロジーと社会の支援があればここまでできる」ことを見せていきたいと思います。
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今回の委嘱は、私としても様々な思いがあふれる出来事であり、いい機会なので思いを書いておきたいと思います。長いのでご注意下さい。
重度障害者・ALS患者に対する社会保障の歴史
私は2014の秋にALSと診断されて以来、着実に体の機能を失い続けて、いまは最重度の障害者です。それでも、社会福祉制度とテクノロジーのおかげで、できることを少しずつ増やしてこれました。
以前の私は、障害者や難病には全く無縁で、興味を持ったことすらありませんでした。ALSになって、さまざまなことを、特に制度が成立するまでの経緯を学びました。
その中で、脳性麻痺や神経難病による重度障害者の自立運動のことを知りました。病院に「隔離」されて生きるしかなかった重度障害者が、病院を出て普通に世間で暮らす挑戦でした。約40年前のことです。
「こんな夜更けにバナナかよ」の鹿野さんも、そのお一人です。
それが、障害者総合支援法(2005年の成立時は、障害者自立支援法)につながったと聞きました。重度訪問介護制度は、ここで制度化されたのです。ほんの15年前のことです。
一方 ALSは、長い間医師からも社会からも見捨てられ、本人も家族も絶望してただ死んでいく病気でした。
これも約40年前のことですが、人工呼吸器が発明されたのです。当初はとても大きくて単なる延命の手段でしたが、小型化が進み外出を含む生活するための支援機器に進化していきました。
ちなみに、国内でごく初期に人工呼吸器を導入して在宅で生活し続けたALS患者は神奈川県にお住まいで、30年以上お気持ちは元気で過ごされたそうです。
しかし、人工呼吸器をつけて在宅で生活するには、大きな問題がありました。
ヘルパーの導入が公的に支援されるようになり、家族の負担は軽減されたのですが、たん吸引や胃ろうと行った医療ケアは、医師・看護師・家族しかできなかったのです。このため、家族はほとんど患者から離れることができず、特に夜間のたん吸引が家族を疲弊させていました。疲弊の末に熟睡してしまい、たん吸引を求めるアラームに気づかず、そのまま窒息死してしまう、という事故も少なからずあったと聞きました。
もし、ヘルパーの医療ケアが可能になれば、家族の負担は大きく軽減されます。これが認められる「社会福祉士及び介護福祉士法」の修正が成立したのは、ごく最近の2012年のことです。
制度上の大きな問題が解消されてから、わたしはALSになり、重度障害者になったことになります。
なお法制度の整備とは別に、運用上の課題はたくさんありますが、ここでは触れません。
療養生活を支援するテクノロジーの進化
さらに、テクノロジーの進化により、療養にかかるさまざまな課題が軽減されるようになりました。
すべてを網羅できませんが、私が特に恩恵を受けているものを挙げてみます。
医療関係
自動たん吸引機アモレSU-1(トクソー技研)
たん吸引を自動でやってくれるので、ヘルパーや家族の介護負担が軽減し、何より患者本人の身体的負担が楽になります。大分県の医師を中心とした研究チームの、10年に及ぶ研究開発を経て、2010年に製品化。
LICトレーナー(カーターテクノロジーズ)
呼吸筋の積極的なリハビリを可能にし、柔軟性を改善することで、呼吸機能の維持に効果が期待できます。国立精神・神経医療研究センター病院での研究開発成果を、2016年に製品化。
ロボットスーツHAL(サイバーダイン)
アシストスーツとして開発されたHALを、神経難病患者のリハビリ目的で活用できるのではないかと、国立新潟病院を中心に研究開発が進められた。同病院による医師主導治験により2016年に医療機器認可を取得。
コミュニケーション関係
分身ロボットオリヒメ(オリィ研究所)
孤独の解消をテーマに開発された、コミュニケーション支援ロボット。2013年頃に商品化。家や病院から出られなぃ重度障害者に外出の機会を提供して、社会参加の可能性を切り開いている。
ローコスト視線入力デバイスTobii eyetracker(トビー・テクノロジー)
ニッチ市場を対象に高額な視線追跡技術を提供してきたが、主にゲームユーザーを対象にしたコンシューマーデバイスとして、2014年に実験的に廉価版を市場に投入した。これが、視線入力活用のハードルを一気に下げた。
視線入力ソフトウェア
上述のローコスト視線入力デバイスを用いた、重度障害者のコミュニケーション環境を劇的に改善する、数々のソフトウェア製品が生まれている。これにより単なる意思伝達だけでなく、業務レベルのパソコン作業の道を切り開いている。
- HeartyAI(吉村隆樹さんによるフリーソフト)
- Orihime eye(オリィ研究所)
- miyasukuEyecon(ユニコーン)
- など
サイバニクス・インターフェースCyin(サイバーダイン)
HAL の技術を応用し、筋肉が全く動かなくても微弱な筋電信号をキャッチして、意志の表出を捉えることができる。2018年に商品化。全身麻痺が進行して、どこも動かせない患者(閉じ込め状態を含む)にも意思表示の手段を提供できると期待されている。
患者会の活動と分身ロボットカフェ
告知当初、全く病気や生活の変化に対する知識がなかった私は、単なる医学的な「3-5年で呼吸筋が侵されて死んでしまう」という説明に、絶望感に苛まれていました。
少しずつ情報を集める中で、最先端の情報は人にしか存在しないと気づき、患者会の活動に積極的に参加するようになりました。
さまざまな人との出会いが、私の療養生活を豊かにしてくれました。
2017年に気管切開手術を終えて体調が安定した私は、先人の長くてたくさんの努力の上で成り立っている療養生活の上に、何を築くかを考えるようになりました。「積極的な社会参加を果たして、それが当たり前になる社会づくりに貢献しよう」と決めました。いま流行りの、ダイバーシティ&インクルージョン社会の実現です。
そんなタイミングで、吉藤オリィさんから「でかいオリヒメを作りました。これでカフェをやるので、手伝ってもらえますか?」と連絡がありました。もちろん二つ返事です。
昨年開催の「分身ロボットカフェ」に、パイロットとして参加しました。一緒に働いた仲間には、私のような中途障害者で「もう一度働きたい」人と、先天性の疾患で生まれつきからだが不自由で「働いたことないんですが、挑戦してみたい」という人がいました。
結果として、「また働けた!」「私も働けるんだ!」という声にあふれていました。私にとっても、「社会参加の機会があれば、こんなに前向きになれるんだ!!」を再確認できた出来事でした。
分身ロボットカフェは、難病や重度障害者でも社会参加できると、世の中に強力にアピールすることになり、たくさんの政治家の方々も体験しにやってきてくれました。
分身ロボットカフェでは、パイロットにきちんとアルバイト代を支払うので、就労時はヘルパー台が支給されない問題に直面することになりました。
神奈川県知事・副知事との出会い
日本ALS協会神奈川県支部は、定期的に県庁の福祉関係者と会合を持っていて、都度要望を伝えていました。私も、2015年の後半から支部の活動に積極的に参加するようになっていたので、参加していました。
当時の神奈川県理事であった首藤さんは、熱心に話を聞いてくださいました。そのときに黒岩知事も、お忙しい中「挨拶だけですが」と顔を出してくださいました。
黒岩知事は、ジャーナリスト時代からALSに関心をお持ちだと、あとから聞きました。
被検者として研究開発に参加していた、サイバニック・インターフェースの研究成果報告会に参加したときも、関係者と一緒に写真を撮ったりしてくださいました。何より感激したのは、きちんと名前を覚えてくださっていたことでした。
神奈川県は、知事のリーダーシップのもとで「未病」「共生社会」といった取り組みを進めています。推進役が首藤副知事です。
「共生社会」では、我々難病・障害者も等しく社会の一員であり、その支援から得られる知見が「未病」の取り組みにもつながると考えられています。
「共生社会」では、障害者の社会参加がチャレンジ目標の一つになります。最重度の障害者が社会参加すること、つまり私のようなALS患者が社会参加して仕事をするということになれば、目標が実現されることになります。
黒岩知事・首藤副知事は、今年の分身ロボットカフェいらして、「ここまでできるなら、もうやれるじゃないか」と思われたと聞きました。
そんな経緯で、私への委嘱も決まったそうです。真面目に生きてきたご褒美だと思いました。
「出現する未来」へ
私は独立してから事業開発のコンサルティングをする中で、内発動機をいかに育てるか、というテーマに取り組みはじめていました(すこししてALSの告知を受けました)。その中で、MITスローンスクールのピーター・センゲ氏のグループの成果に触れるようになりました。「出現する未来」「学習する組織」「U理論」を始めとする数々の著作を読みました。
ざっくりいうと、企業や社会の変革はどういうメカニズムで起きるのか?に対して、個人・組織・社会の深い内省に基づく気付きから、あるべき姿を思い描き、その実現を目指す、というメカニズムであると言っています。
そして、一人ひとりが自分なりの使命(源泉・ソース)に導かれてあるべき姿を目指すとき、同じ思いを持つ人や組織と出会い(シンクロニシティ)、対話(ダイアローグ)を通じて共通の目標を持つに至ると、大きなうねりを生み出し、外から見ると突然変革が起きて未来が立ち上がったように見える、というものです。
先に書いたように、ALSや重度障害者を取り巻く環境は、それぞれの立場の一人ひとりの思いに基づいて少しずつ進歩してきました。社会制度の整備はほんの15年の事ですし、私が利用しているテクノロジーはここ数年の間に出現したものです。10年前の発症だったら・・・といつも思います。
その多くは緩和ケアというか生活の質の維持が目標です。でも、その先にある「積極的な社会参加」を明確に志向している患者・障害者・支援者は少なからずいます。
そういう人生を送りたい、そんな社会で暮らしたい、と考える人がもっと増えれば、そんな未来は必ず出現するのです。そして、そんな社会になれば、社会参加を意識しない患者・障害者も、静かに幸せに療養生活を送ることができるのではないかと考えています。
そのために、ALSで重度障害者でもここまでできる、を発信し続けたいと思います。
謝辞
ここまでで書く中で、お世話になってきた方たちの顔が次々と浮かんできました。私はまだ何も成していないのですが、こういうのは思い立ったときにやらないと機会を失うので、書いておきます。すべての方を書くことはできませんので、そこはお許し下さい。
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告知後、何もわからなくて不安だらけの我々夫婦を、いつでも励ましてくれた岸川紀美恵・忠彦ご夫妻(日本ALS協会神奈川県支部支部長・支部長代行)と支部役員のみなさん。
初期の頃から、「高野さんは呼吸器つけて、役割を果たすのよ!(超訳)」とスパルタに励まして、最先端の活動に参加させてくれた川口有美子さん(さくら会事務局長)。
積極的に生きる姿を見せてくれた、橋本操さん(元ALS協会会長、前さくら会理事長)、岡部宏生さん(前ALS協会会長、境を超えて理事長)、中野玄三さん(師匠)、他、たくさんの先輩・同輩・後輩患者のみなさん。
セカンドオピニオンを取りに行った病院で、「僕、この病気10年以上見てるので、一緒に頑張りましょう」と言って、呼吸リハをはじめ最新のリハビリ技術を教えてくれた、寄本恵輔先生と同僚の先生方(国立精神神経医療研究センター病院)。
HALを用いたリハビリ方法を開発して、リハビリ目的の入院を受け入れてくださった中島孝先生とスタッフのみなさん(国立新潟病院)。
私の医療的処置をすべてやってくれた、聖マリアンナ医大病院の医師とスタッフのみなさん。
いつも最新の発明を試させてくれる吉藤オリィさんとオリィ研究所のみなさんと、分身ロボットカフェで一緒にチャレンジしたパイロットのみなさん。
視線入力技術と先天性疾患のお子さんたちの課題を教えてくれる伊藤史人先生(島根大助教)。
HeartyPresenterを一緒に開発している、吉村隆樹さん。
私の無茶な要望にいつも対応してくれる、訪問看護ステーションのみなさん。
私の日常を支えてくれる、ヘルパーのみなさん。
新しい地域支援の形を一緒に試行錯誤してくれる、川崎つながろ会のみなさん。
変わっていく私から目をそらさずに、わがままを聞いてくれる友人のみなさん。
そして、最愛の家族。
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みなさん、本当にありがとうございます。書いてたら涙出てきた。