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ALS患者高野元の日常と思考と回想

広島に行ってきました(1) 〜 原爆ドーム

      2015/08/26

7/13-15の二泊三日の日程で広島を旅行してきました。

世界遺産をできるだけ見るという私のささやかなライフワークを聞いて、友人のJ君が一緒に行こうと企画してくれまして、妻も加えて3人の旅行です。

全行程は、下記のとおりです。

  • 1日目: 羽田空港〜広島空港、レンタカーで平和記念公園・原爆ドームを見る
  • 2日目: 高速船で宮島へ移動し、厳島神社を散策
  • 3日目: レンタカーで呉へ移動し、大和ミュージアムを見て、広島空港〜羽田空港

旅行の前の週には、台風9, 10, 11号の3つが日本に迫り、旅行がどうなるかヒヤヒヤものでした。結局、9号は前日12日に日本海へ抜け、10号は中国大陸に向かい、11号は16日に西日本上陸予定と、台風の間隙をついた実に幸運な旅行となりました。

JAL便で広島へ

自宅に迎えに来てもらい、羽田空港まではJくんの車で移動し、到着後はJALラウンジでゆっくりさせてもらいました。曇ではあるものの雨は上がり、飛行機は定刻通り飛んでくれました。

昼過ぎに広島空港に到着したころから雨が降り始め、レンタカーを借りるときには土砂降りになり、先が思いやられるなと思いつつ移動開始です。広島市街に向かう高速道路上で『そら案内』で雨雲をチェックすると市街に雲はなく、山中を抜ける頃には雨は上がり、平和記念公園についた頃には曇り空となっていました。

公園の直ぐ側に市営の駐車場があったので、そこに車を停めて公園に向かいました。

平和記念公園

70年前の原爆投下により、数ヶ月の間に10数万人の方が亡くなったそうです。当時の広島市の人口の約半数にあたります。

私は、50歳にして初めて訪れたのですが、この場に立ち入るだけで、ある種の緊張感を覚えました。

公園から原爆ドームを臨む

このエリアは、当時は広島市中島地区という地名だったのですが、原爆で住民も町並みも一瞬で壊滅したのち、盛り土をした上で1950年に現在の記念公園となったそうです。この公園の下には今でも数多くの被爆者が眠っていることになります。

平和記念資料館

ここは原爆被害の資料を展示しています。

爆心と火球の模型

生々しい被爆者の写真やインタビューは、やはり正視に耐えず写真に収めることはできませんでした。

最も記憶に残っているのは、熱戦で顔を焼かれて黒焦げになってしまった女子学生の写真でした。被爆後数日で亡くなられたそうですが、その苦しみや絶望感は如何ばかりかと思わざるを得ませんでした。

さすがに、戦争のない世界をあらためて想うことになりました。

原爆ドーム側から記念資料館を臨む

原爆の子の像

写真だけ載せます。解説はこちらを御覧ください。

折り鶴は、広島の小中学校だけでなく、他県からの寄贈もありました。

原爆ドーム

原爆ドームについても説明は不要でしょう。写真を掲載しておきます。

広島1日目を振り返って

被曝70年

広島行きを決めた時にはあまり意識していなかったのですが、今年は被曝からそして終戦から70年という節目の年です。このタイミングで広島を訪れることができたことに感謝したいと思います。

太平洋戦争で亡くなった方は、300万人を超えると言われており、その3割近くが一般市民です。そのうちの1割が広島での原爆被害ということになります。

現在の日本社会の発展は、そのような悲惨な戦争を経て廃墟から生み出されてきたものです。自分たちの世代から見ても、たった1−2世代前の苦労の上に成立っているわけで、その苦労を語り継いでいかないといけないと、あらためて思いました。これからの日本を担う若者にとって、近現代史の教育は本当に大切だと考えています。



お好み焼き「みっちゃん」

で夕食を食べました。広島お好み焼き発祥と謳うチェーン店のようでしたが、こちらも廃墟から立ち上がる広島で、大将が「安くておなかがいっぱいになる食べもの」と創りだしたというストーリーが店内に書いてありました。

特製お好み焼きを食べましたが、予想より大きく意地で完食しました。

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