シルクロードに行ってきた:ウルムチ(1) 〜 市街のようす
ウルムチ駅にて:
長旅を終えたたくさんの乗客とともに駅をでると、タクシーやバスが顧客待ちをしています。ホテルまで2Kmほどあったので、タクシーを捕まえようとしたのですが、最低50元からで無いと行かないといいます。うーん、中国らしい。こっちは疲れているというのに!
結局、30分かかってホテルまで歩きました。
ホテルで一服したら夜9時を過ぎてあたりが暗くなってしまったので、近場のローカル食堂で手早く済ませてしまいました。初日なので、おとなしく休むことにしました。
人民公園:
二日目の朝は、街の中心部にある人民公園に向かいました。天山天池に行くためですが(そちらの詳細は次エントリで)、公園のそばにある旅行社に行く前に、すこし公園内を散歩してみました。
ウィグル自治区とはいえ中国の公園なので、漢民族のお年寄りが集まって太極拳やらダンスやらを一緒にやっているのは、全く同じでした。でも、漢民族しか見かけませんでした。
公園の北側にはツアーを取り扱う旅行社が並んでおり、そのひとつで車をチャーターして天池に行ってきました。
市場で夕食:
天池から戻って、ホテルでひと休みした後は、解放南路付近の市場に食事に出かけました。北京時間なので、夜9時頃にようやくあたりが暗くなります。
市場ではウィグル族の一家がやっている屋台で、チュルチュレを食べました。何度食べても美味い! 日本でも食べられるところないのかな。ところで、ビールが飲みたかったんですが、ウィグル族はイスラムなのでお酒は置いていないのでした。
そういえば、屋台の写真を撮りそこねてしまいました。ウィグル族のおばあさんはウイグル語しかしゃべれず、北京語ができるお母さんと話してたんですがね。
この後、ホテルに戻ってバーを探してもらったんですが、街には一軒しかなく、しかも泊まったホテルから遠いのであきらめました。イスラムに配慮しているのでしょうね。ホテルにKTVが入っていたので思い切って覗いてみましたが、最低料金600元の部屋貸しだからビール一杯には向かないよ、と堅気とは思えない強面のマネージャに言われて退散。
近所の便利店に行ってみたら缶ビールがあったので、それで喉を潤しました。
新疆ウイグル自治区博物館:
三日目の最終日は市内を回りました。市街の北には博物館があります。
構内は写真撮影禁止なので建物の写真しかありませんが、展示物の中にはミイラが数点あります。これらのミイラは、タクマラカン沙漠のオアシス付近で土葬された人が、自然乾燥によってミイラ化しています。2000年以上前に埋葬された人なのですが、これが実に生々しかった。衣服もそのままの状態で残っています。自然の力は偉大ですね。
楼蘭美女も展示されているはずと期待したのですが、いまは公開されておらず、当時の発掘の様子を記したパネル展示だけになっていました。
この博物館は、ミイラだけでなく、新疆の歴史や、少数民族の生活を紹介しており、飽きずに楽しめます。印象に残っているのは、前漢時代にこの地を管理しようと送り込まれた官吏が記した文書が残っていたことですね。乾燥地帯なので、紙(竹簡だったかも)に書かれた文章が残っているのです。漢帝国の文書ですから漢字です。中国では紀元前2世紀ごろには漢字が流通していたのですが、日本に入ってくるのは紀元5世紀以降ですね。
この後は、近所の食堂に入り、大好きな新疆料理である大盤鶏を食べました。
紅山にて:
帰りの飛行機に乗るために時間がなくなりつつありましたが、最後に紅山に登ってウルムチ市街を眺めることにしました。タクシーを捕まえたくてもなかなか来ないので、やむなく路線バスで市街まで戻り、そこでタクシーを拾って無事に到着。
紅山は、人民公園の北側にある、標高934mのちいさな山です。ウルムチ自体の標高が高いので、実際には300m程度の山に見えました。
時間がないので階段を駆け上がって頂上の建物「遠眺楼」に向かいましたが、昨日の天池が高地トレーニングになったのか、あまり息が上がりませんでした。
遠眺楼の隣には、鎮龍塔と林則徐像がウルムチ市街を見下ろしています。
鎮龍塔 |
林則徐の像 |
鎮龍塔は、ウルムチ河の氾濫を沈めるために作られたものだそうです。天山山脈の雪解け水は、氾濫を起こすほどの水量をウルムチの街にもたらしていたのですね。
林則徐は、国を守るためにアヘンを海に投げ捨てた人ですが、アヘン戦争の原因となったため宮廷から疎まれ、晩年は左遷されてこの地域の都督となったそうです。嘉峪関でも像がありましたが、左遷されたとはいえ、おそらく大変な人望があったのでしょうね。
ウルムチ雑感:
ウルムチといえば、2009年のウィグル族の暴動が思い出されます。対日感情もあまりよくないと聞いていたので、当初はかなり緊張していました。しかし、事件から2年がたち、街は落ち着いているようです。他の街にいる時以上に周囲に気を配る必要はありませんでした。
ただ、街を歩いていて強く感じたのは、漢族とウィグル族は生活圏がはっきり分かれている、ということでした。人民公園には漢族しかいませんし、市場の屋台で食事をしているのはウィグル族です。漢族が中国風文化を持ち込んだところには、ウィグル族はあまり入ってきていない印象でした。
街ですれ違う高校生たちは漢族もいればウィグル族もいて一緒なのですが、大人になってから別れてしまうのは、何かしら経済的な差別もあるのでしょうね。少数民族問題は難しい問題で、今後も中国のアキレス腱となることでしょう。いずれ平和的に解決されるといいのですが。