シルクロードに行ってきた ~ 敦煌(2):莫高窟

世界遺産,中国旅行2011.4シルクロード

4/16-17: 甘粛省敦煌

敦煌二日目は、まずは翌日のトルファン行きチケットの入手をしなければなりません。昨日確認した場所へ向かい、無事にチケットが取れました。嘉峪関から敦煌に来るときは座席がとれずに座れるまでひやひやしていたので、今回はほっとしました。

そのあとに、莫高窟と楡林窟を見て回りました。いずれも、4世紀から13世紀にいたる長い期間に崖を掘削して作られた仏教施設です。

市街からそれぞれ25Km、170Km離れているため、タクシーをチャータするしかありません。昨晩鳴沙山から乗ったタクシーの運転手が親切な人だったので、電話してお願いすることにしました。トータルで450Kmほど走ることになるので、チャーター料金は450元です(10Kmで10元が相場)。

沙漠の道:

街を出る前に、運転手が超市(コンビニのことです)で、水とパンを買ってくれました。私は事前に用意していたんですけどね。数日分の売上になるので、顧客サービスなんでしょう。

さて、市街を出てから延々と莫高窟まで、鳴沙山を右手に見ながら沙漠の道を走り続けます。沙漠と言っても砂とは限らず、多くは砂岩や礫岩です。でも水分が見当たりませんね。これだけ広大な土地で水分がないとなると、水を持っていないと生命の危険を感じます。

奥に見えるのが鳴沙山

市街から30分ほどで、鳴沙山の東端にある莫高窟に到着します。

鳴沙山の崖に掘られた洞窟が見える

莫高窟へ:

莫高窟は、およそ1000年もの長期にわたって創られてきた仏教芸術に加えて、歴史的に重要な資料も発掘されていることから、1987年に世界遺産に認定されています。

世界遺産であることを記す石碑

公園入口の門

莫高窟正面

入場口

洞窟群を観覧するためには、拝観料が必要です。夏季はガイド込みで180元なのですが、訪れたのが4月中旬のため冬季料金の100元で入場できました。しかも、日本語ガイドが一人ついてくれたので、とてもお得でした。労働節(ゴールデンウィーク)や夏休みの時期は、日本人団体が増えるために、日本語ガイドについてもらうのは難しくなるそうです。

莫高窟歴史概観:

世界遺産というだけで、あまり考えずに敦煌・莫高窟を訪れたので、後づけの勉強をしました。

最初の洞窟は、紀元355年(366年という説もある)から、楽元という仏教僧によって掘られたそうです。この時期は、中国史の五胡十六国時代であり、敦煌は前秦の支配下にありました。

この時期の洞窟は現存しておらず、残っているのは5世紀の北涼時代のものからです。それでも全部で734の窟があります。異民族の侵入を受ける西域ということもあって王朝の変遷が激しいので、地球の歩き方にある解説を参考に簡単にまとめておきます。詳細はともかく、これだけ長い間、数多くの政変の中で仏教美術の創作が続けられたことは、当時の仏教信仰の篤さを示しています。

莫高窟の年代区分と特徴
西暦 時代 観覧 美術の特徴
420年~ 北涼 初期 北涼・北魏時代は、異民族の西域様式を色濃く残している。
菩薩像の上半身は裸で、衣は体に密着している。西魏時代は、
仏像は痩せて平板になり、衣は中国風になってくる。北周時代になると、顔や体はふっくらとするが、
衣は中国風のまま。
439年~ 北魏 第259窟
535年~ 西魏
557年~ 北周
581年~ 中期 第244窟 隋代は中国化が進むが、仏像は頭部が大きくて体躯との
バランスが悪い。初唐、盛唐期は、政治的にも中国の中央と直結したので、
中央の唐代様式が顕著になる。

中唐は吐蕃に、晩唐は張氏に支配されたため、
中国との交流が少なくなり様式も形骸化する。

618年~ 初唐 第96窟
712年~ 盛唐 第103,130,
148,328窟
781年~ 中唐 (吐蕃支配期) 第237窟
848年~ 晩唐(張氏支配期) 第16,17窟
907年~ 五代 後期 五代から宋の時代は、支配者の支援により大型石窟の造営や、
旧窟の補修が進められた。壁画様式は単調になる。西夏時代も修復は続いたが、壁画の様式は単調なまま。

元時代は、漢画とチベット密教画の二つの様式が混在した。

960年~
1038年~ 西夏
1271年~

 

この表の「観覧」で挙げている窟は、私が実際に観覧した窟です。中期が中心となっているのは、後期は様式としてあまり魅力的でないことと、中期の洞窟壁画も後期に改修されているためだと思います。

さて1900年には、この第16窟で修行していた僧が、壁で隠された第17窟を発見します。そこには、「敦煌文書」と呼ばれる唐代以前の雑多な文書が保管されており、古代中国の政治や文化研究に大いに役立ちました。残念なことに、当時の清帝国の官吏は文化的価値を認めることがなく、イギリスに二束三文で売られ(大英博物館に保管)、ほかにも日本・ロシア・アメリカに資料が流出したそうです。清帝国が列強の侵略を受けていた時期のできごとですが、残念なことです。

莫高窟観覧:

入場時には、ガイドが必ず付いてくれます。前述のように私は日本語ガイドを頼みましたし、中国語・英語のほかにフランス語・スペイン語のガイドも見かけました。

残念ながら石窟の内部は写真撮影禁止なので、写真は外観だけになってしまいます。

石窟の内部だけでなく、外部に描かれた仏教画を多少見ることができます。この壁画はどの時代のものかわかりませんが、さすがに数百年以上も厳しい自然にさらされてきたので、壁画の色がすっかり褪せています。

かすかに残る壁画

この九層楼は、莫高窟のシンボルとしてよく目にします。これは初唐時代の第96窟であり、大雄宝殿と呼ばれる大仏殿です。この中には高さ34.5m、幅12.5mの弥勒大仏が安置されています。写真が撮れなかったのがほんとうに残念です。

ネットでも探してみましたが、見つけられませんでしたし、購入した写真集にも掲載されていません。見たい方は、敦煌に行くしかないようです。

莫高窟のシンボル九層楼

ガイドの案内は1時間ほどで、その後は周辺を少し散歩してトータル2時間弱ではありますが、世界遺産にふさわしい芸術を堪能しました。

この後は、ふたたびタクシーで楡林窟へ向かいました。