U理論で考えるALSの受容
ALSの受容には、キューブラー=ロスの「死の受容過程」がよく引用されます。これは、末期患者が病気を告知されてからの心理状態の変化を、①否認と孤立→②怒り→③取り引き→④抑うつ→⑤受容、の5段階で示しています。
告知されてから色々と調べる中で出会いましたが、末期を受け入れるというところが、いまひとつしっくりきませんでした。静かに死を受け入れる気になれなかったというか、病を得てなおどう生きたいか、が無いところが私に合わなかったのです。
告知から少し経つと活動的な先輩患者に出会うようになり、「自分も活動的に生きたい、なにかに取り組みたい」と思うようになりました。しかし進行期でもあったので、日々出現する課題を打ち返しつつ、気力が出ないときはやり過ごす毎日でした。
私が受容したなと思えたのは、誤嚥防止・気管切開手術を終えたばかりの入院中のベッドの上でした。これからやりたいことが、大量に頭の中に鮮明なイメージとして浮かんできたのです。そうなるまでの経緯を振り返ってみると、以前学んだU理論のプロセスを経てきたのだなと思いました。
U理論とは?
U理論とは、マサチューセッツ工科大学 スローン校 経営学部上級講師であるC・オットー・シャーマー博士によって生み出された、「過去の延長線上ではない変容やイノベーションを個人、ペア(1対1の関係)、チーム、組織、コミュニティ、社会のレベルで起こすための原理と実践の手法を明示した理論」です。
https://www.authentic-a.com/theory-u から引用しました。
U理論についての詳細は、こちらのページをご覧ください。
私がALSを受容したプロセス
U理論では、何かを成し遂げるための心の変容が、どのようなプロセスで形作られるのかを明らかにしています。そのプロセスに従って、私がALSを受容に至る過程を紹介します。
ダウンローディング
病気について全く知識がなくて、ALSに関する書籍に片っ端から目を通して、病気について学びました。
また、ALSになったことを友人・知人むけにブログで公開しました。これは、発信することで情報が集まることを期待したのですが、実際に友人が重要な出会いをもたらしてくれました。
観る(seeing)
先輩患者と出会い、自分が近い将来にどんな状態になるかを、目をそらさずに観察していました。この頃は、車いすで公共な場所に出るのは抵抗がありました。自分がこれからどうしたいか、人工呼吸器をつけて生きるのかは、まだ決めていませんでした。
感じ取る(sensing)
活動的な先輩患者や支援者と交流するうちに、人工呼吸器をつけて生きるイメージが持てるようになっていきました。単に呼吸器をつけるイメージを持つだけでなく、在宅での看護・介護の課題と対処法を理解していきました。また、車いすで出かけることにも慣れていきました。
プレゼンシング
手放す(letting go)
パソコンもスマホも使えなくなり、衰える身体に見切りをつけて健常な頃の生活を諦めました。治るかもしれないという、淡い期待すら諦めました。口から食べ続けるために、誤嚥防止・気管切開を決断しました。
迎え入れる(letting come)
入院中のある日、これからやりたいことが、大量に頭の中に鮮明なイメージとして浮かんできました。浮かんだというより、過去の自分を手放したことで空いたところに、新しいOSとアプリケーションが再インストールされる感覚でした。ALSに対する自分のあり方が変容して、ALSとともに生きる未来が出現したのです。
※OS(オペレーティング・システム):コンピュータの基本ソフトのこと。
具体化(crystarising)
やりたいことのイメージを言語化して周囲に宣言することで、具体的に行動を始めました。
実体化(prototyping)
- 川崎つながろ会を発足(2017.11)
- HeartyPresenterを開発して、講演活動を開始(2018.2)
- 自薦ヘルパーを中心とした介護体制構築に着手(2018.10)
実践(performing)
- 川崎つながろ会は、毎月開催を継続
- 講演活動は、5年で60件を超えた
- そうはつ介護ステーションは、開業から3年目
※難病QAサイトは未着手のまま
受容とは心のあり方の変容
ALSの受容とは、U理論で言うところのプレゼンシング、すなわち「手放して迎え入れる」に相当すると考えています。つまり、健常な過去の自分を手放すことで、ALSとともに生きるように自分のあり方が変容するのです。その上で、「出現する未来」にチャレンジしていくことが、受容ということになります。このプロセスは、U理論に親しんでいる方たちの間では「Uの谷をくぐる」と言われますが、それこそが受容なのです。
受容のタイミングは人それぞれ
わたしの受容は、誤嚥防止・気管切開手術の直後に訪れました。他の患者を見てみると、
- 告知されたあとに帰宅する新幹線の中で受容した人
- 呼吸困難で意識を失っているなかで気管切開手術をしてから数年生活してから受容した人
など、さまざまです。
そして、受容が訪れないままに亡くなる方もいます。
注意したいのは、気管切開手術は受容の条件ではないことです。ある患者仲間は、気管切開手術を受けることなく亡くなりましたが、その直前に難しい国家試験に合格していました。呼吸が衰える中で、勉強を続けるのはとても大変なことです。これは、受容していたからこそできたことでは無いでしょうか。
私はなぜ生きたいのか
進行すれば重度障害者になるのですから、それでもなお「なぜ生きたいのか?」を自覚できていないと頑張れません。私がなぜ生きたいのか?は極めてシンプルです。よく「笑って生ききる」と言っていますが、結局のところ「自分の人生を肯定して死にたい」のです。
これまで、「自分のペースで、なにかにチャレンジし続けていたい、死ぬ日まで成長していたい」と思ってきました。それを続けて生きて行くのが目標です。