かわいそう・はずかしいの正体
ALSになって、ある程度病気を理解したころに強烈に思ったのは、「かわいそうな人扱いをされたくない」ということでした。
実際、ALSになったことをブログで公表したときは、日本中から「かわいそう!」の思念が押し寄せてきて、数日体調が悪化したほどでした。
その時考えたのは、「なぜみんなかわいそうと思うんだろう」ということでした。これは「ALSだからかわいそう」ということではなく、もう一段深い「なぜALSはかわいそうと考えられてしまうのか?」ということでした。
日本中からやってきた「かわいそう」は、ほとんど「ALSだからかわいそう」のようでした。
なんでALSだとかわいそうと思われるのでしょうか?思いつくものを列挙してみます。
- 治らないから、数年で死んでしまう
- 体が動かなくなるから、思うように活動できなくなる
- 呼吸器をつけて寝たきりになる姿が、いたたまれない
みたいな感じでしょうか。。。
それぞれ考えてみました。
数年で死んでしまう、についてですが、この年になると友人・知人にもすでに亡くなっている人がいます。平均寿命を全うできないことをかわいそうというなら、理解できなくはありません。そもそも、この年で健康なら、死ぬことは想定しませんからね。
思うように活動できなくなる、については、環境を整備することでなんとかなることがわかってきました。さすがに一人旅は無理ですが、結構できることはあるのです。でも、以前のように一人でできる、当たり前のことができないのは事実。
いたたまれない、についても、普通目にすることのない姿を見るのがつらい、ということだと思います。
これらのかわいそうの主語を、当事者本人に置き換えると、恥ずかしいの理由になります。
どうやら、かわいそう・恥ずかしいの正体は、平均・当たり前・普通、と違っていることのようです。
平均・当たり前・普通などいろいろな表現がありますが、「常識」という言葉でくくってみます。
常識って何でしょう?
ある社会で,人々の間に広く承認され,当然もっているはずの知識や判断力。 (三省堂大辞林)
あれ?知られているかどうかの問題?なら社会に知ってもらえば解消するってことですね。
常識に関するエピソードを一つ。
私は46歳のときに会社を辞めて、半年ほどぶらぶらしていました。
ある時うちに遊びにきた息子の友達が言いました、「お前んち、なんで父ちゃんいるのー?」
その日の夜に息子に申し渡しました「今は休養中である。決して恥ずかしいことはしてないから、堂々としとけ。」
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常識なんかぶっ飛ばせ!