平和安全法制について考える
衆議院では強行採決の形となり、参議院での審議が始まる平和安全法制ですが、いろいろと考えることがありました。ブログで政治的な心情を描くことに対する葛藤や躊躇がありますが、まだ日本は言論の自由があって、本件についても様々な意見のやりとりが続くことを望むので、将来自分の思考と判断を振り返るときために書いておくことにします。
Contents
私の基本的な考え
私は、政治的な問題を考える時には、
自分の息子たちが社会に出て活躍する、10‐20年後に日本がどうなっていて欲しいか
という視点で考えるようにしています。
10年後には、アジアの安定と平和の主導的役割を果たし、これまで以上に尊敬されて、行きたい国・学びたい国であってほしいと願っています。
このアジアの安定と平和の主導的役割を果たすために、
- 憲法と国力の範囲内で、
- 国際情勢の変化を踏まえた安全保障体制を整え、
- さらに国際的な治安維持に貢献するべき
というのが、私の基本的な考えになります。
自分なりにこの法制の問題を考えるにあたり、納得できる代替案がないので、消極的な賛成という立場です。
3つの視点
自分なりにこの法制の問題を考えるにあたり、さまざまな論調も合わせて、あらためて3つの視点が必要と考えました。
現在の平和はなにによっているか
戦後70年間、戦争や紛争に巻き込まれることもなく過ごせた理由として、憲法9条を挙げる意見を多く見受けます。確かに憲法9条は国の交戦権を否定して、周辺国への侵略はしないというメッセージを発信しました。
一方、他国からの侵略という点では、日米安保条約と自衛隊の存在を抑止力として、専守防衛の体制は整えられていると考えます。
それでも、朝鮮戦争後に竹島は韓国の実効支配を受け、尖閣諸島も中国が実効支配の機会を狙っていることへの異論はないでしょう。
防衛については、そうした他国の実効支配を許容するか、抑止力を持ち阻止するかの選択になります。いまの日本は、自衛隊と日米安保に基づいて、抑止力を持って自国の領土を守る方針と理解しています。
したがって、沖縄の基地問題も、「残念ながらやむを得ない、沖縄のみなさんどうもありがとうございます」という立場です。そういうと沖縄の負担をどう考えるのか、という議論になりますが、積極的に受け入れを表明する他地区を見つけてこれなかったのが現実です。
憲法9条の解釈のむずかしさ
第二章 戦争の放棄第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
とあります。
この憲法の条文を読み替えてみると、「【国際紛争を解決する武力行使以外の手段】をもって国際平和を希求する」と読めます。
なので、武力行使以外の手段をどう定義するか、そのなかに集団的自衛権を含めるか、が今回の法制の論点となっているわけです。
条文を素直によむと、集団的自衛権どころか自衛隊そのものも放棄すべき対象に見えます。自衛隊は、まだアメリカの占領下にあった朝鮮戦争時代に、アメリカの命令で警察予備隊として創設されたものです。
過去の政権は、苦労して条文を実態に合わせる解釈をしてきたと理解するしかないのですが、今回はいよいよ無理が出てきたと私は捉えています。
アジアの安全保障環境の変化
これまでアジアの安全保障は、実質的にアメリカの軍事力を背景にしたものでした。そのもとで、日本と韓国は同盟国として駐留軍を受け入れてきたわけです。
国連の常任理事国でありながら、中国の国力が充実したのはこの10年余りですし、軍事力の増強もこれに連動しています。それ以前は海軍力も乏しく、中国の海洋地域への軍事行動を意識する必要はありませんでした。
しかし、残念ながら現在の中国の動きは不穏であり、朝鮮半島も安定しているとはいえません。
一方、アメリカは軍事費削減方針を打ち出し、アジア太平洋方面の軍備を減らしたがっています。
防御が手薄になれば、国土の一部が侵略されて実効支配される可能性が高まります。専守防衛ですから、こうなれば自衛隊は出動できますが、同時多発的な行動を取られたらどうでしょうか。また、防衛のために公海上で活動しなければならないとしたらどうでしょう。
日本が当事者になり得る国際紛争が起きたとき、他国と協力して国境の外で行動を起こすには、現状では法律を審議して立法しなければなりません。ましてや憲法改正となれば数年必要で、有事にそんな時間はないのではないでしょうか。
法案の検討にあたって知りたい論点
くどくど書きましたが、今回の法制を考えるにあたっては、下記の論点で様々な人の考えを聞きたいと考えます。
(1) 侵略の脅威に対して、国境を超えることがあっても他国と協力して対抗するか否か(集団的自衛権の是非)
- 是なら、今回の法案で大筋合意。
- 否なら、侵略の脅威を受け入れるか、単独で対抗しうる軍備の増強が必要。
日本は世界有数の赤字経営国家で、軍備を増強するなら福祉を切り捨てることになると考えるので、私はこの点は賛成です。
(2) 協力する他国として、アメリカを第一と考えるか否か(日米安保条約の是非)
- 是なら、現状通り。
- 否なら、新しい同盟国を探す必要がある。
十分な国力がある近隣国は、脅威を感じる中国のみなので、私は現状維持が妥当と考えます。
(3) 他国の紛争に安易に巻き込まれないように、日本の安全保障に関連するかを判断するのは誰か
国会審議か、閣議決定か、安全保障の意思決定の制度について理解が足りないので、現時点では判断を保留します。
ここを明快に説明した上で、法制化してほしいと考えています。
(4) アジア地域に日本に影響を及ぼす脅威が存在するのか、その緊急性はどの程度か
尖閣諸島をめぐるここ数年の中国とのやりとりは、十分危険ではないでしょうか。また、南沙諸島への進出で、原油の輸送ルートを抑えられてしまう可能性があります。
この辺りの認識を知りたいところですが(ネット上にはいくつも流れています)、外交上政府の正式見解として中国を名指しできないので、各政党が議論の前提として裏で握って欲しいところではあります。
(5) 防衛目的で他国と協力するために、憲法を改正するか否か
- 是なら国民投票を行って判断。
- 否なら閣議決定と立法で対応。
憲法改正するなら、自衛隊の存在を含めて審議すべきという考えです(後述)。そこまで踏み込むなら憲法改正すべきですが、踏み込まないなら立法で対応すれば良いと考えます。
これらの議論をする前提として、もう一つ、
(6) 自国の平和を守ることに専念するか、アジアの平和に貢献する行動をとることにするか
について、一度国民的議論が必要なのではないか、というのが偽らざる心境です。
もし紛争が起きても知らんぷりをして他国の被害が拡大した時に、平和貢献を期待される先進国として、その国の人々からどう思われるかを考えるべきではないかということです。
今回の議論で感じるいくつかの違和感
私が知りたい論点は前述したとおりですが、一方で違和感を感じることがいくつかあります。
戦争法案と呼ぶことは適切か
与党は、一言も戦争を仕掛ける準備とは言っていないし、法案にもその手の文言は一言も書いていません。– 内閣官房資料 平和安全法制等の整備について
集団的自衛権を認めることによって、
- 他国の侵略行為に同行すれば、日本も侵略行為に加担する可能性がある
- 他国の防衛行為に同行すれば、日本も攻撃対象になる可能性がある
のはレトリックとしては間違いないでしょう。
前者は、あきらかに憲法9条1項に違反するので、拒否できる拒否すべきと考えるのが自然ではないでしょうか。しかし、戦争を容認するかしないか、の扇動的な二項対立に持ち込んでいるのは乱暴に見えます。
どうやってそれらの可能性を抑止すべきか、という意見を聞かないと、合理的な判断ができないと思うのは私だけでしょうか。人が変わっても機能する仕組みを作るのが立法のはずですから、人が信用出来ないからダメだ、という議論に貶めている野党の議論は残念です。
なお、後者の場合は、他国の防衛行為に同行することが日本の防衛に関係あること(いわゆる新三要件)を誰がどう認定するのかを分かりやすく示してほしいことは先に書いたとおりです。
また、徴兵制という言葉が出てくるのも不思議です。日本は自衛隊を有しており、一定の国防予算を確保しています。これらの軍事力が不足してはじめて徴兵制が必要になります。その前に立法化と予算化が必要なはずです。
憲法改正はほんとうに必要か
憲法9条は解釈に解釈を重ねてだましだまし運用してきたものであることに異論はないと思います。
そう考えると、集団的自衛権で改正が必要であるなら、その前に自衛隊の合法性を明文化できる改正が必要ではないかと考えます。
ついでに言うと、最高裁で違憲判決がでている一票の格差問題の上で成立している、現在の国会の合法性はどの程度あるものでしょうか。
憲法改正なら徹底的に議論して、国民投票を経て直して欲しいですが、中途半端な議論にするなら実効性のある判断を優先すべきだろうというのが私の考えです。
いまの与党が国民の選択であること
集団的自衛権の解釈の拡大可能性を憂慮して反対している人たちは、安倍政権へ不信感を持っている人たちが多いと思います。
しかし、昨年末の総選挙の段階で、安保法制が審議されることはわかっていたわけで、それでも安倍さんと与党を勝たせたのは国民です。
一方で、野党がプラカードを持って騒ぐばかりで、維新以外は対抗する法案すら出しておらず、健全な政策討論がされていないことを残念に思っています。
これからの日本のあり方を審議するにあたり、積極的または消去法で自民党に投票し、あるいは投票を放棄したのは国民です。いまさら表面的な論点で騒ぐ理由がわかりません。
デモを行っている人たちも気持ちはわかりますが、民主主義の手続き上は二次的な手段です。表面的な主張にとどまらず、もっと本質的で現場感のある主張を聞きたいと思います。
また、こうした活動をしている方達へのTV等のインタビューでは、総選挙でどの党に投票したかを聞いてほしいと思っています。
道義的に反論できない理想論で議論を抑えようとする姿勢が一番心配
「戦争には反対ですか?」と聞けば、99%の人が反対と答えるでしょう。もちろん私も反対です。
「戦争は反対だけど、その手前に検討すべき課題ががある」ので議論するわけですが、その議論を抑えるために上位概念である「戦争反対」を持ってくれば、全ての議論を無効にできます。細かい具体的な論点を持っている人は、自明の前提では議論したくないからです。
太平洋戦争は、帝国主義を押しすすめる過程で、外交上劣勢にたったところで軍部が台頭したのが直接的な原因です。しかし主戦論を後押ししたのは、朝日新聞を始めとするメディアに扇動された市民であることを忘れるべきではないと思います。
若者のデモにも違和感があります。万が一集団的自衛権のために紛争に巻き込まれるとして、防衛任務にあたってくれるのはまず自衛官です。その自衛官が不足して一般の若者が徴兵されるとしても、兵士の育成には時間がかかるので、紛争解決に貢献する現実的な戦力にはなりません。その時は紛争の負けを受け入れる時です。
ものごとをもう少し丁寧に考えて欲しいし、こうした動きに便乗して安易な言葉を吐く政治家がいるとは、極めて嘆かわしいことです。
選挙は民意を表わすための権利であり義務
今回の流れ (あえていうと民主政権時代の失政も) は、民主主義の手順に則って行われています。私も今回は不透明で残念だと思う点がありますが、閣議決定も手続きのひとつです。
国政に参加する政治家は、本来は未来の日本をどうしたいかのビジョンを持ち、そのために必要な政策を提案して法律にするのが仕事です。
われわれ一般国民は、自分の考えに近い人を選んで、大衆の意思を国政に少しでも反映させる義務があるのではないでしょうか。
マスコミ報道でなんとなく投票し、マスコミ報道でなんとなく騒ぎ、ほとぼりが冷めれば忘れてしまう、という状況から脱却したいものです。
ちなみに私は、自民党の行動を全面的に肯定しているわけではなく、一つ一つの課題に対して是々非々で考えたいと思っています。どちらかというと二大政党制が望ましいと考えているので、強い野党が必要と考えて、過去十数年間自民党に投票したことはありません。なかなか期待に応えてくれる野党が現れてくれないのですが。。