キャリア・ストーリ (2)
NEC中央研究所時代
キャリアについて質問されることが増えたので、半生を振り返って記事を書くことにしました。悪いことはだんだんと忘れていくので、良い出来事や自分に都合の良い解釈が多いですが、ご笑覧下さい。
キャリアのスタート
1990年に入社したNEC中央研究所では、マルチメディア/ハイパーメディア・システムの研究グループに配属されました。今では当たり前のデジタル動画を扱う能力は当時のPCにはなく、エンジニアリング・ワークステーションにレーザーディスク・プレイヤーをつないでシリアルポート経由で制御し、その映像を画面に表示するレベルでした。
動画内のオブジェクトにアノテーションを付けるというアイデアを出してプロトタイプを開発したりしました。当時の上司だった原良憲さん(現、京都大学経営大学院教授)から、システム・アプリケーションの研究開発方法を学んだ時期でした。
次に携わったのは「視覚効果X-Window」の研究開発でした。いまとなっては当たり前になっていますが、ウィンドウの表示に視覚効果をつけて、ユーザーインターフェースをリッチにしようというものでした。
当時の上司だった的場ひろしさん(現、静岡文化芸術大学教授)が専用のハードウェアを開発して事業化を目指しており、これに汎用的に使えるソフトウェアを載せるというのが私のミッションでした。
当時のワークステーションでデファクトスタンダートとなっていた X-Window Systemのカーネルを解析し、UNIX OSとユーザーインターフェース設計、ならびに技術の標準化について深い理解を得る経験となりました。また、この研究成果を発表した国内学会で表彰されたり、ボストンで開催されたX-Window Conferenceにて初の海外発表をする経験もできました。
これらは、2000年を過ぎてからPC用グラフィクス・チップに標準搭載される機能や、Windows XPやMac OS Xに搭載されるUIを、数年先行して研究開発していたことになります。こうした研究成果を、自社製品に反映させて世の中に出せないのはなぜかという、マネジメントへの素朴な疑問を持ち始めた時期でもあります。
WWWの活用に研究テーマを設定
こうした活動に前後して、1994年になって自分が主体となれる新しい研究ネタを探していたところ、見つけたのがWorld Wide WebとNCSA Mosaicでした。当時はソースコードを入手して自分でコンパイルして動かすのが当たり前でした。これで遊んでいるうちに、少しずつ社内にサイトが増えてきたことから、社内用の検索エンジンを作り始めました。
自分たちが作ったものを、少しでも外部の目に触れる形にしたいともがき始めた時期でした。しかし、検索エンジンは非常に奥が深く、プログラムのロジックは簡単でも大規模データを扱えるだけのシステムインフラの知識が必要でした。OracleにWeb情報を格納してシステムを作っていったのですが、データ量が増えるにつれて検索速度が低下していき、トランザクション主体のDBMSの限界を知ることになります。
また、それまでのテキスト検索のロジックでは玉石混交のWeb情報からふさわしい情報を見つけることが難しく、ブレークスルーを求めて試行錯誤を続けました。当時の検索エンジンは、今でいうビッグデータのはしりといっていいでしょう。
この頃から、周囲の優れた人たちの協力を得ないと目標とする成果が出せない規模にプロジェクトが拡大し、数多くの失敗を重ねながらプロジェクト・マネジメントの基本や、リーダーのあり方について学んでいきました。
仕事外のできごと
入社した頃はバブルの余韻が残り会社にも余裕がありました。会社行事は新人が盛り上げる風潮がまだあって、おかげで仲良くなった同期入社の連中とはずいぶん遊んだり、研究についての議論を戦わせたりしました。
当時のNECは、デビスカップやフェデレーションカップのスポンサーであって、各事業所のテニス部も活発に活動していました。僕も研究所のテニス部に入り、川崎市の事業所対抗戦などでプレイしましたが、戦績は一向に上がらず。最大の成果は、人生の伴侶をテニス部で見つけて結婚にこぎつけたことでしょうか。
キャリア・ストーリ 一覧 (1) 大学・大学院まで (2) NEC中央研究所 (3) スタンフォード大学客員研究員 (4) 企業内転職 (5) Web検索事業責任者 (6) ベンチャー企業役員 (7) 中国大連で会社設立 (8) 人材交流マネジメント (9) 大企業の傘下へ・半年の小休止 (10) 経営コンサルタントとして