キャリア・ストーリ (1)
大学・大学院まで

キャリア・ストーリー

キャリアについて質問されることが増えたので、半生を振り返って記事を書くことにしました。悪いことはだんだんと忘れていくので、良い出来事や自分に都合の良い解釈が多いですが、ご笑覧下さい。

生誕から中学校まで

両親は新潟県佐渡ヶ島の出身でしたが、父親の大学と就職の関係で福岡県福岡市で生まれました。転勤で、生まれて3ヶ月ほどで大阪府豊中市に引っ越して、さらに大阪万博が終わった後に東京都保谷市に引っ越しました。すぐに埼玉県浦和市(現、さいたま市浦和区)の公団住宅に引っ越して、小学校6年間と中学1年間を過ごしました。

小学校の頃は、運動が苦手で手先が器用な少年でした。あまり外で遊ばず、ダンボールとか木の端材で何かを作っているの好きで、将来は大工になりたいと思っていました。

その後、中二になる頃に千葉県千葉市に引っ越し、大学院を卒業するまでここに住むことになりました。転校先の中学校はとても歴史ある学校でしたが、千葉のやんちゃな連中も多く、ずいぶんと揉まれた記憶があります。

中学生活を送るうちに、電子工作やオーディオ、コンピュータに興味をもつようになりました。学校では宇宙戦艦ヤマトのマニアとして知られていて、真田工場長に憧れて科学者になろうと思い、中3になる頃から真剣に勉強して、千葉県立千葉高校に入学しました。

高校生〜浪人生時代

高校生になると、苦手だったスポーツをやろうと硬式テニス部に入りました。体力も運動神経も乏しかった僕はついていくので精一杯ながら、高3になるところまではやりぬきましたが、勉強と部活と遊びのバランスが常に何処かに偏っていました。

気づけばあっという間に受験生になってしまい、実力以上の大学を受験してあえなく浪人。この一年はほんとうに真剣に勉強しまして、早稲田大学理工学部電子通信学科に入学しました。

某国立大学を志望していて、模試では夏休み以降の合格可能性ずっと80%だったのに本番で失敗。記念受験に実力以上の早稲田大学を受けたら、この年だけ敬遠されて難易度が下がり、苦手な英語では冬季講習で全訳した長文が出るという幸運に恵まれ、ラッキーってあるんだなと思いました。

実は受験直前に3週間入院する羽目となり、本命以外の大学はすべて病院から受験会場に行きました。本命の受験は家から行けたのと、模試成績から余裕をかましていたことが油断に繋がったのかもしれません。

この出来事で、人生がんばったからうまく行くとは限らないが、がんばったなりのご褒美はあるものだということを知ります。

大学時代

大学に入ると、すぐに底なしに頭の良い連中がいることを知り、また予備校の授業との格差に学問への興味が失せてしまい、留年しない程度に頑張ることにしました。テニスがうまくなりたいと理工学部硬式庭球部に入るのですが、周囲のレベルが高くふたたび頑張っても結果が出ない時期を過ごします。テニスの腕前は人に言えないレベルですが、クラブのメンバと一生ものの友人になったことが最大の収穫でした。

大学生になった頃は半導体材料をやろうと思っていましたが、遊んでばかりで偏微分方程式と物性物理に挫折してしまい、コンピュータ応用に興味が移りました。みんなが持っているという理由でPC-9801を敬遠し、富士通 FM-77というパソコンを購入して、あまり知られていないけどMS-DOSより優れていたOS-9というUNIXサブセットのOSを独学しました。

大学4年になると大附辰夫教授に師事しました(2011年で退官)。回路理論・自動設計(CAD)分野で世界的な業績を残された先生です。最初のゼミの資料が英語で理解できず、辞書と首っ引きで徹夜して資料を読み込んだことを覚えています。

当時の電子通信学科は、名前の通り通信・回路・物性の理論と実験中心のカリキュラムで、コンピュータ科学についてはほとんどカリキュラムがありませんでした。しかし、大附研究室は回路自動設計のアルゴリズムを研究していたので、最初の3ヶ月は徹底的にアルゴリズムとプログラミングを仕込まれました。

大学院修士時代

CADマシンのインターフェース高度化が研究テーマとなったのですが、当時で言うグラフィクス・ユーザー・インターフェース(GUI)が面白くて没頭するようになりました。修士課程ではアルゴリズムよりもGUIのことばかりやっていて、先輩が作った擬似ウィンドウシステムでCADシステムを作っては、自動配線のアルゴリズムをテストしていました。

当時最先端のSUN4ワークステーションを使わせてもらい、普及が始まったばかりの X Window System (まだR3だった)をフルコンパイルして遊んだりもしましたね。個人では、SHARP X68000というホビーパソコンを手に入れて、愛用していました。

就職活動は、GUIやユーザーインターフェース分野を手がけられる企業の研究所を希望して各社を廻りました。当時はバブルで学生が接待される状況でした。エンジニア職はたいてい教授推薦で就職が決まるので、「どうしてもNECの研究所に行きたいです」とNEC OBでもあった先生にお願いして諸先輩方に会わせていただきました。数回の面接を経て、研究所配属が内定した状態での就職が決まり、無事に大学院修士課程を卒業しました。

卒業旅行

修士論文を提出してから卒業式までは1ヶ月ほどの期間があったので、バックパックを背負って、ブロークンとすら言えない英語力で、一人でイギリス・イタリア・ギリシャ・ドイツ・フランスを周りました。初の海外で初のバックパッカーでしたが、ほんのちょっと自分に自信をつけた経験となりました。

キャリア・ストーリ 一覧
 (1) 大学・大学院まで
 (2) NEC中央研究所
 (3) スタンフォード大学客員研究員
 (4) 企業内転職
 (5) Web検索事業責任者
 (6) ベンチャー企業役員
 (7) 中国大連で会社設立
 (8) 人材交流マネジメント
 (9) 大企業の傘下へ・半年の小休止
 (10) 経営コンサルタントとして