gentak.info

ALS患者高野元の日常と思考と回想

キャリア・ストーリ(9)
大企業の傘下へ・半年の小休止

      2015/09/18

キャリアについて質問されることが増えたので、半生を振り返って記事を書くことにしました。悪いことはだんだんと忘れていくので、良い出来事や自分に都合の良い解釈が多いですが、ご笑覧下さい。

NTTコムの子会社になる

DF社は、2009年3月にNTTコミュニケーションズの資本を受け入れて、その100%子会社となりました。

この意思決定は、当時の経済環境や市場環境を鑑みて、主力商品であるWebアクセス解析ソリューション Visionalistの市場展開力を強化することを目的としたものでした(当時のニュース記事)。

株主が変わることで、役員の意思決定方針も当然変わりますし、社内の力学も変わっていきます。グループ社員数160人強(日本本社100人+大連開発会社60名)のベンチャー企業が、日本を代表する企業グループの一員となるわけですから、従来のやり方と新しいやり方の間には乖離があるのは当然でした。

両方のやり方を経験してきた私は、どちらの論理も理解できました。しかし、ベンチャー向けにOSを作り替えてしまった後では、もとに戻すのはなかなか難しかったと言えます。

退職

私にとって良かったことは、日本本社役員・企画開発運用部門長・中国子会社社長、と多すぎた仕事を分担してもらえるようになったことです。最後の一年間は中国子会社の経営に専念させてもらいました。自分としての総仕上げを一年間丁寧にやれたことで、創業5年たらずで当初思い描いていたとおりの会社にすることができました。

新体制で2年も経つと、新しい体制下で社員ひとりひとりの役割も最適化されていき、自分への期待値も変わっていきました。大連側のレベルも一定水準に到達して事業を残せる目処がついたので、退職させてもらうことにしました。

半年の小休止

DF社で過ごした怒涛の7年間は、よくも悪くも多くのものを私にもたらしてくれました。ビジネスマンとしてのOSは入れ替えられ、短時間に限られた情報の中でリスクをとるマネジメントや、ゼロベースで考えて常識にとらわれない発想など、数多くの失敗体験とそこから生まれる成功体験の積み重ねでした。

とはいえ消化不良のことも多く、ひとつひとつのできごとを消化する時間が必要でした。

そういうわけで退職するときに、家族には半年は仕事をしない宣言をしました。久しぶりに家族や気のおけない友人たちと過ごす時間を取りつつ、合計で8週間ほど中国東北部と西部、東南アジアを放浪して、ひとりでゆっくり考える時間を取ることにしました。

それまでの5年弱の間、月の半分は家に(日本に)いない生活を続けていたこともあり、私の性格を知っている妻は黙認してくれました。

大連での残務整理の後に、極寒のハルビン氷祭りを見に行き、一旦帰国した後にマレーシア・カンボジア・タイを放浪しました。

1-IMG_3250

タイでは出会う仏像全てに「面白い人生が続きますように」と祈ってました

 

放浪から帰国した翌日に東北震災が起きて、ひとりで好き勝手に行動していいものか悩みましたが、自分の気力を回復させることを優先して、4月には北京からシルクロードを放浪しました。

1-IMG_4367

敦煌の鳴沙山からひとり眺めた満月

肩書が消えると水が引くように去っていく人たちが実在することを知り、一方で変わらずそばに居てくれる人たちもいて、あらためて家族と友人の大切さを知った時期でした。

就職か独立か

この時期に一番悩んだのは、就職するか独立するか?でした。妻との約束は半年でしたから、その間に考えて考えて考えて3回とも独立すべしという結論になり、まず独立することを決めました。もちろん不安はありましたが、何で商売するかは後回しにして出会いを信じることにしました。

ありがたいことに「仕事どうするの?」というお問い合わせを複数いただきました。独立する旨をお伝えすると、プロジェクト参加を打診していただいたり、事業企画の依頼を頂くことができました。

そういうわけで、コンサルタント業務で仕事を始めることになりました。

アンダマン海の夕焼け — これからの生き方を考えたプーケット・カロンビーチから

 

 

キャリア・ストーリ一覧
 (1) 大学・大学院まで
 (2) NEC中央研究所
 (3) スタンフォード大学客員研究員
 (4) 企業内転職
 (5) Web検索事業責任者
 (6) ベンチャー企業役員
 (7) 中国大連で会社設立
 (8) 人材交流マネジメント
 (9) 大企業の傘下へ・半年の小休止
 (10) 経営コンサルタントとして

 - キャリア・ストーリー