GW四国旅行(7) 3日目:はりまや橋~安芸~室戸
短い時間でしたが、桂浜で坂本龍馬に思いをはせたあとは、よさこいで歌われるはりまや橋へ行ってみました。このときもiPhone全力案内!ナビが活躍してくれました。
Wikipediaによれば、
江戸時代に、高知の豪商である播磨屋と櫃屋(ひつや)は、互いに本店が堀で隔てられていた。この両者の往来の為に架けられた私設の橋が、「播磨屋橋」(はりまや橋)の名称の由来である。
とあります。いまでは観光名所となっていますが、いったい何でこの橋が人を集めるのかは不思議です。
こちらもアーケード街をのぞいてみましたが、松山ほどではないにしろ賑わっていました。5/2はGWでもっとも人手が多かったようなので、そのせいかもしれませんが、みやげ物店が軒を連ねており、観光事業が高知の経済に貢献している様子を垣間見ることができました。
高知市街には路面電車が走っており、松山同様風情のあるレトロな雰囲気を醸し出していました。また、はりまや橋の近辺には、大きな地下駐車場があり、観光客が車で訪れても渋滞で地上の景観を脅かすことがないようになっていました。
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4時過ぎにはりまや橋を出たのち国道55号線を走り、一時間ほどで安芸市に到着し、国道55号から10分ほど山側に入ったところにある「岩崎弥太郎生家」を見学しました。NHKの龍馬伝でもときどき出てくる弥太郎の生家ですが、TVでみる小さなぼろ屋ではなく、茅葺きではあってもきちんと手入れされた古民家でした。栄達するにしたがい周囲の土地を手に入れて、自宅を拡張したそうです。
庭に6個ほどの岩がおいてあるのですが、弥太郎が子供の頃に日本地図に見立てて配置し、「自分は常に日本全体のことが頭に入っている」と言っていたそうです。この配置は家屋側が日本海にあたるので、生け垣の外から見えることを意識していると思われ、自己顕示欲と負けん気の強い人柄が伺えます。
また、国道55号線沿いの公園に「岩崎弥太郎先生像」が立っていました。岩崎家は郷士株を売ってしまった地下浪人だったため、まわりから虐げられており、弥太郎は出世するにしたがい自分の出身地を顧みることがなくなり、生家もすむ人もなく放置されていたそうです。
三菱グループとして創始者の生家が朽ち果てているのを放置しているのはさすがにまずいと考えて、手入れをしたと言うことです。銅像も同じように昭和60年に三菱グループによって建立されています。
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さて、岩崎弥太郎生家を見た後は、ひたすら室戸岬を目指して走りました。19時を過ぎると道も暗くなり、海岸沿いの道から見える太平洋も真っ暗です。20時前にようやく「室戸の宿 竹の井」に到着し夕食となりました。
昼間に桂浜で龍馬像を見て、夜8時からはNHKで龍馬伝を見ながら食事、というのはなんともいえず、ぜいたくな気分でした。
この宿は、3月末に宿を探した際に高知市内はすでに空きがなく、四万十か室戸で探したところ、のこりあと3部屋という状況で予約したところです。そんな状況なのに、「今夜泊まれませんか?」という問い合わせ電話が数本もかかってきていました。さすがに宿の旦那さんも困ってましたが、世の中無謀な人もいるもんだ、と思いつつ、こちらもレトロな宿で眠りにつきました。