56歳になりました
昨日3月31日の深夜に56歳になりました。四捨五入すると、なんともう還暦です。
この一年はコロナ禍で世の中が一変して、なんとも不自由な社会になりました。そんな生活を我々はコロナ前から強いられているわけで、「世間が我々に追いついた」と発言したりしてきました。
コロナ禍でイベントのオンライン化が進んだのは、われわれ外出困難者には良い傾向と思います。パソコンの窓から社会に繋がれるわけですから。昨年末にまとめたように、この一年もたくさん講演・講義の機会がありました。
10月は本当にきつくて、反動で1-2月まで精神的な疲れが残り、「ああ、オレも若くないなぁ」と感じることしきりでした。重度障害者のくせに何言ってるんでしょうね。
私が心がけていること
さて、昨年の講演活動の中で一番気に入っているアウトプットが、こちらのスライド「心がけていること」です。このスライドに絡めて、近況報告をします(このスライドの詳しい内容は後日改めて書きます)。
心の声に従う
昨年は京都の事件もあり、尊厳死について語られることが多くなりました。その中で典型的な意見の一つとして「あんな状態になるなら、私なら死を選ぶ」というものがありました。
これは、他人との比較で自分の価値を決めているので、「現世は魂の修行」と捉えている私には違和感がありました。
わたしは、ALSで重度障害者であっても、笑って生きて社会参加したいと思っています。これは、健常者だった頃の自分に戻りたいというものとは違い、今できることで社会参加の形を再構築するということです。もし、そういう考え方が社会の変化に寄与することがあるなら、そういう使命なんでしょう。
仲間やつながりを増やす
川崎つながろ会の活動が前進しました。「2020年度かわさき市民公益活動助成事業」の助成を受けて、さまざまな支援活動に取り組もうとしてきました。
その中で、つながろ会に集う仲間の生活を紹介する動画も作りましたので、紹介します。
その他に、オンライン講演会も実行できました(後日紹介します)。
これからも、ゆるゆると仲間を増やしていきたいです。
チャレンジを歓迎する
今年度のチャレンジとしては、まず「神奈川県・共生社会アドバイザー」の仕事でした。県庁の職員に対して、変化を望まない守旧の人たちという偏見を持っていましたが、まったくの杞憂でした。
話し合いの中で、私の意図を汲み取って、こういう形ならできますよ、とどんどん提案してくれました。その結果として、
- テクノロジーの活用で障害を乗り越える姿を知ってもらう
- 重度訪問介護を始めとする障害福祉サービスを、医療制度・介護制度を含む難病療養のスコープにいれて知ってもらう
という考えに基づく、2つの成果を世に出すことができました。
もう一つのチャレンジは、重度訪問介護事業所「そうはつ介護ステーション」をはじめたことです。制度の運用がわからず恐る恐るの船出でしたが、請求業務の流れを理解し、処遇改善手当の申請の流れを理解し、最後はヘルパー全員に賞与を出すことができました。
あらゆることに感謝する
2013年のALS発症以来、今こうして生かされているのは、小さな幸運の積み重ねであると感じています。
特に、2017年の誤嚥防止・気管切開手術後から、呼吸機能を始めとする進行は緩やかになり、体調は安定しています。いろいろな方に教わりながら、自分なりに考えて、訪問医療者とヘルパーの協力を得て工夫してきたことの成果だと思っています。
その内容を「当事者参加の呼吸ケアと題して」難病看護学会で発表したり(内容を近日公開します)、担当してくれる訪問看護師の論文が公開される事になりました。
こうした経験を少しでも、当事者や支援者に伝えていきたいと思います。
いつも上機嫌でいる
なんで高野には運がいいことが起きるのか、とお感じの方もいるかも知れませんし、実際私もそう思います。
秘訣があるとしたら、いつも上機嫌でいることかもしれません。上機嫌でいれば、友人が会いに来てくれますし、訪問スタッフも仕事を楽しんでくれます。
そんな生活を維持するために、不機嫌になる要因は取り除こうと努力できますよね。そこが本質なのかもしれません。
ちなみにこの記事のタイトル写真は、二子玉川にある蔦屋家電でオリヒメが接客しているのを応援に行ったときのものです。パイロット仲間のさえさんとくわさんが接客していました。こうした体験も、自分を上機嫌に保つためには必要ですね。
不確実な未来を信じる
わたしは、70歳になる頃(約14年後)にはALSから回復して、テニスコートに立ってから死ぬことにしています。そこから平均寿命まで生きても12年ありますし、あくまで平均ですから。
ALSの原因といわれているタンパク質の異常凝集のメカニズムが解明されて、その原因を取り除くオートファジー機能を助ける薬が、あと数年でできると期待しています。
そのあとはロボットスーツHAL等の最新の機器も活用して、10年くらいかけて全身の運動神経を作り直します。もしかしたら、運動神経の再生を加速するのに、幹細胞の投与も効果があるかもしれませんね。
さらにそのあとは、テニスコートで球出しから始めるのです。
まだ妄想みたいな話ですが、実現して死ねればラッキー。
重要なことは、もし現実になったときのために準備を怠らないということです。そのために、筋肉を柔らかく保ち、関節の拘縮を抑え、肺を健康なままに保つ努力をするのです。
一番イヤなのは、体が衰えるままに過ごして、一方で創薬が実現することです。
その日のために、できるだけ体を維持し、できるだけ頭脳も維持し、社会との関係を維持して行きたいと思います。