gentak.info

ALS患者高野元の日常と思考と回想

佐渡の家のはなし

   

私の本籍は、新潟県佐渡市にありました。

というのも、両親が佐渡の出身だったからです。子供のころは、毎年夏休みに帰省するのが当たり前で、海や山を楽しめる環境に浸るのが楽しみでもありました。

どちらも農家で、それなりの才覚があったのか、そこそこ大きな古民家でした。

私の家系は地域の大地主からの分家で、初代は大工の棟梁だったそうです。2代目が祖父に当たり、町の助役を務めていた記憶があります。日中戦争に召集されて従軍し、銃弾を受けて帰国したと聞きました。3代目が父親で、農家の長男なのに農家は嫌だと家を出て、高度経済成長期のサラリーマンでした。

父の実家は初代が建てた120年を超える古民家で、幅一尺(=30㎝)の柱が何本も並ぶような立派な家でした。祖父が健在だったころは、牛小屋に牛、鳥小屋に鶏がいて、夏休みの帰省中は毎朝卵を取りに行ったものでした。

とはいえ、ド田舎の農家です。汲み取り便所に五右衛門風呂でした。便所が外にあるので、子供のころは夜中にトイレで起きた時はほんとに嫌でしたねぇ。

牛小屋があったころはハエが多くて、家じゅうハエトリ紙だらけでした。もう見たことある人少ないですよね。背が伸びてくると、頭にくっついて取れないんですよ、これが。

こうした環境を体験したことが、中国での生活の耐性になったのかもしれません。特にトイレ。

そんな家でシロアリにもやられてしまっていたので、30年位前に長男である父親が気合入れて改修して、ずいぶんきれいにしました。「さすがにこの家には嫁さん連れてこれない」と文句を言ったこともありましたが、改修後につれていったので大丈夫でした。

佐渡への帰省での一番の楽しみといえば、なんといっても新鮮な海産物です。

朝に水揚げされた魚が昼には店に並ぶので、夕食でも24時間以内のものが食べられます。特にイカが好きでしたが、ここで食べてしまうと、東京近郊のものは鮮度が落ちるので、なかなか満足できなくなってしまいました。

そんな先祖代々の家も、少し前に田畑と一緒に人手に渡りました。私が病気になり引き継げなくなったので、売りに出したのです。幸い引き取り手が見つかり、新たに活用されていることと思います。

先祖代々の土地を継承することにこだわっていた父親も、さすがに観念して老体に鞭打って売却先を見つけました。そこで体力を使い果たし、自分が後にした実家の後始末を終えて、寿命を全うしました。

もし自分が元気なら、季節限定のAirBnBをやってみたかったなあ。世界中の旅行者を、この山奥に呼び込んでみたかった。

 

こちらは家族の思い出。息子たちもまだ子供で、私も元気だった。

 - 日常生活