キャリア・ストーリ (4)
企業内転職

キャリア・ストーリー

キャリアについて質問されることが増えたので、半生を振り返って記事を書くことにしました。悪いことはだんだんと忘れていくので、良い出来事や自分に都合の良い解釈が多いですが、ご笑覧下さい。

研究者生活に区切りをつける

帰国して2年ほどは、検索エンジン技術の研究開発を続けました。NECには長い歴史がある優れた日本語解析技術があったため、私のチームはリンク解析を担当していました。

大規模なWWWのリンクデータを蓄積して行列計算する用途にはRDBは不適切だったので、結局専用のDBを開発しました。現在ならビッグデータ解析の基盤ソフトウェアである KVS(Key Value Store)に相当するものを開発していたことになります。

しかし、すでに検索エンジン開発はGoogleの出現で研究開発レベルから実用化競争の時期に入っていました。情報量の爆発によって大規模なシステム投資が不可欠となったため、一企業の研究グループの手に負えるレベルを超えてしまっていたのです。

人材公募でビッグローブ事業部に転籍

すでに研究所で10年を過ごしながら博士号に手が届かなかった私は、研究者生活にいつ区切りをつけるか悩んでいました。

さらに、自分のアイデアを市場に出していくには、研究所にいて事業部に提案し続けるより、事業部で手綱を握る側に立つほうが早いのではないかとも考え始めていました。

2000年に社長が変わり、研究部門のリストラがあったタイミングで、ビジネスの世界に転じる決心をします。希望する社内部門に転籍できる人材公募という制度を使ってビッグローブ事業部に移りました。

大企業ならではの人事制度ですが、当時の私にとっては転職と同じくらい勇気がいる行動でした。そういうわけで、35歳にしてようやくビジネスのいろはを学ぶことになりました。

最初の仕事はGoogleとの交渉

最初に与えられた仕事が、自分も技術提供してきた検索サービスの立て直しでした。

「社内の第一人者として、さんざんお金を使ってきた責任をとれ」と、長いお付き合いだった新しい上司は笑って難題を振ってきました。これはエンジンの技術開発ではなく、ポータルビジネスの主要サイトとして勝てるものにせよという、事業の立案と実行の命令です。

検索エンジン業界のトレンドと自社開発の限界を深く理解していたので、Googleとのアライアンスを提言したところ、「すぐにGoogleに行って話をまとめてこい!」ということになりました。ちょうどパスポートが切れていたんで、翌日請求に行ったんですよね。

「NECの日本語技術と組み合わせない?」という提案を持っていったのですが、「来週日本語版ローンチするよ」と、ちょうどGoogleは日本語化を終えたところでした。8月の頭に渡米して交渉開始したのですが、11月末にはBIGLOBEサーチを開始することができました(当時のニュース記事)。

組織で仕事をするはじめての経験

たった4ヶ月で海外企業とのアライアンスをまとめてサービスをローンチする、というのは、数々の幸運が重なった結果とはいえ、NECという大企業としては驚異的なスピードでした。

初めてのビジネス立ち上げを、前例がないサービス形態で行おうとしたため、ルールを知らないこともあって、やることなすこと周囲に弾き返されました。短時間で仕事を覚えるにはちょうどよかったかな、といまでは思いますが、当時はこの柔軟性のなさに辟易した部分もありました。

視野が狭かったことが幸いして、事業経験がないことによる無鉄砲さでルールを変えてもらい、ルールに負けないで正しい技術選択を意思決定したことが、自分の最大の貢献だったかと思います。

余談ですが、サービス開発と並行して課長昇格試験を受けていた(NEC関係者は状況がわかると思います)ことを、部下のK君に悟られなかったのが密かな自慢です。さらに次男が生まれて半年ほどだったので、家でも気が休まらず大変でしたね。

キャリア・ストーリ 一覧
 (1) 大学・大学院まで
 (2) NEC中央研究所
 (3) スタンフォード大学客員研究員
 (4) 企業内転職
 (5) Web検索事業責任者
 (6) ベンチャー企業役員
 (7) 中国大連で会社設立
 (8) 人材交流マネジメント
 (9) 大企業の傘下へ・半年の小休止
 (10) 経営コンサルタントとして