ALS進行と療養の経緯(12)~2019年

発症と療養の経緯

半年ごとに書くペースでしたが、気づいたらもう今年も終わりなので、今年一年の経緯を書きます。

体の状態

少しずつ進行していて、動かない部署は少しずつ増えています。

  • 椅子に座った状態で、左足を伸ばせなくなった。
  • 右足を伸ばそうとすると、屈筋と伸筋が同時に動くので時間がかかる。
  • 両腕が、肩から先がほとんど動かせなくなった。
  • 飲み込みが悪くなり、ラーメン一人前を完食できない日が増えてきた。
  • アタマを持ち上げるのが大変になってきた。

などなど。

足がすっかり細くなってしまいました。

それでも、日々のマッサージとストレッチのおかげで、関節の拘縮は最小限にできているし、痛みで辛い箇所がない状態をキープできています。

また、立位訓練も週2回のリハビリ時に続けられています。

呼吸機能

自力肺活量が、ついに1000ccを切るようになってしまいました。

呼吸が維持できる私の下限は650ccなので、まだ少し余裕はありますが、立位をとるとかベッド上でもぞもぞ動くとか、より多くの酸素を必要とするときに少し苦しくなります。

一方、LIC(強制肺活量)は、昨年から4000cc前後を維持できています。これは、呼吸筋の柔軟性を維持できているということになります。自力肺活量が低下してもLICを維持できれば、無気肺を防ぎ、換気機能を保てるということでした。

こちらも、日々のLICトレーニングや胸郭のストレッチ、立位訓練といった呼吸筋ケアが功を奏していると思います。

栄養管理

昨年から一日の摂取カロリーを1800キロカロリーと定めて、経管栄養と経口でカロリー摂取してきました。経口では、なんとか家族と同じものをミキサーして口から食べています。食べるというより、飲み込んでいるだけですが。

おかげで春の体重が67キロになり、お腹周りにばかりに脂肪がついてしまいました。2年前に気管切開手術をしたときは61キロまで落ちてしまい、一生懸命食べてきたのです。でも、筋肉量も落ちたことだし、目標体重を64キロに設定して、摂取カロリーを1500キロカロリーに減らしました。

このため順調に体重が落ちて、11月末には64キロを切りました。最近飲み込みが悪くなり、経口で食べる量が、予定より減ってしまっているようです。

経管栄養を増やすか検討中です。

看護・介護体制

介護体制については、なかなか家族介護の比率を下げられず、思うようには行かないと今年も思わされました。

介護の主力を担ってくれていた方が、6月末に退職。この原因は私の判断の遅れにあるのですが(後述)、体制の再構築に奔走することになりました。

それとは無関係に、募集活動は続けて来ました。オープンな求人もしてきましたが、結局は人のつながりで来てもらえる方が現れてくれました。

講演活動を通じて学生アルバイトを採用することもできました。これはもう2年越しでして、近隣の看護・福祉系の大学・専門学校へ営業の手紙を送り、返事が来たところと話をすすめ、講義の後にアルバイトの話をして、応募が来て、という流れでした。

半年で単独の外出を任せられるようになりまして、あちこち外出させてもらいました。

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現れたヘルパーさんはみなさん本業をお持ちなので、外出のサポートを優先してもらっています。日常生活は、介護保険の訪問介護ヘルパーと訪問看護師に支えてもらっています。

人力介護の限界と対策

年初は私は介助があればなんとか立てたので、車への移乗やトイレの立ち座りなどをヘルパーの介助を得てやっていました。しかし、脚力が低下するだけでなく、膝を伸ばすのにタイムラグが出るようになりました。運動神経が失われていくためです。

機能低下を受け入れて、先回りして手を打つのは、なかなか難しいことです。どうしても、機能維持のために「もう少し頑張ってくれよ」と考えてしまいます。

これが、ヘルパーの腰を痛めることに繋がりました。これが退職の原因です。悪いことをしたなと反省しています。

手を打たないと、他のヘルパーにも波及するのは明らかです。

負担がかかる車の移乗を楽にするために、福祉車両の購入を決めました。3月から各社の見積もりに入り、4月に比較検討して日産のセレナに決めました。特殊車両なので、納入に2ヶ月かかりました。

これで、車椅子のまま乗車できるようになり、ヘルパーと妻の負担はかなり軽減されました。

ポータブルトイレの移乗は以前からリフトを使っていましたが、スリングの形状のために、どうしても座り直しが必要です。これもヘルパーの負担となっていました。

トイレの座り直しをサポートするために使える形状のスリングを探して、そちらを使うようにすることで、ヘルパーの負担は軽減できました。

社会参加

気管切開後に色々考えて、積極的な社会参加を果たし、他の患者も通れる道を作ろうと決心しました。そのために、いろいろな活動をしてきました。

まだ道半ばですが、いくつか芽が出てきました。

(1)講演活動

動けない喋れない身体でプレゼンテーションするために、HeartyPresenter を開発したのですが、このシステムを使っての講演活動が、今年一年で12回となりました。

進行したALS患者が普通にプレゼンするとは誰も思わないわけで、それでも依頼してくださった方たちには感謝しかりません。あらためてお礼申し上げます。

7/25 KPMG Japan Talk supported by AWS

講演活動は謝礼をいただくこともありますが、基本的に主催者のご事情にお任せしています。ただ企業様の場合は、きちんとした報酬をいただく方針にしています。

昨年は事例がなかったのですが、今年は2社から創発計画に発注をしていただきまして、久しぶりに請求書を発行しました。

(2)患者会活動

ほぼ毎月、2つの患者会活動をしています。

前者では、年次総会で「最先端を目指す私のALS在宅療養」と題しての講演をしました。

後者では、初のレクリエーション・イベントとしてバスハイクを企画して、東京ドイツ村へ行ってきました。

(3)神奈川県共生社会アドバイザーを委嘱

11月から就任しています。参議院に重度障害者の議員が誕生したことで、世間が重度障害者の就労に関心を持つタイミングでこのような決断をした、黒岩知事と県庁の皆さんには感謝するしかありません。

すでに3回のオリヒメミーティングをしていますが、準備を含めて楽しく取り組んでいます。

(4)その他

その他にも色々と活動してきましたが、代表的なふたつを紹介します。

いずれも、健常者の理解と患者の勇気を意識しています。

おわりに

3月末に開催した「活動報告会」では、「当分死ななくなりました」とのメッセージを伝えました。

でも、実際には脆弱なところが少なからずあって、「今年一年生き延びたな」というのが正直な気持ちです。

それでも、目の前のことに集中して日々を積み重ねていくしかないわけで、健常者であっても障害者であってもそれは変わりません。

来年も引きつづき、やりたいことを諦めないことを心がけて、自分のペースで歩んでいきたいと思います。