好奇心が不安を軽減する

ALS生活, 父からの手紙

病気を公表した最初の頃は、「恐ろしい病気になってしまった」と重いイメージが周囲に蔓延していました。ブログで公開した翌日は、その重い想念が一気に押し寄せてきて体調が悪くなったくらいです。

不安の一般化

たしかにALSは、いずれ全身の自由が効かなくなるという意味で恐ろしい病気なのですが、自分自身あるいは周囲が恐ろしいと思ってしまうポイントは2つあるんだと感じています。

そのひとつは、まだ病気の原因が不明で治療法も確立しておらず、直せないということ。もう一つは、段階的に障害の度合いが進み、普通の人とは見かけが大きく違っていくということ。

さて、この不安を大胆に一般化してみましょう。

  • 原因が不明で不安 → 経験や前例がないものは不安
  • 普通と違って不安 → 人と同じでないと不安

となると思うんですよ。

ここまで一般化すると、なんだか世間でよくある話と似ていると思いませんか?

  • 新事業にチャレンジしようとすると、前例がないことを理由に阻まれる。
  • 周囲と違う発言や行動を取りつづけると、KYと言われて排除される。

比較がそもそも間違っているでしょうか? 私はそうは思いません。いずれも自分の日常に出現した課題にすぎないと思うからです。

 

思考停止からの脱却

ALSのような難病の場合は、本人が将来に絶望したり、周囲の方が気持ちの持って行きどころがなくなってしまったり、思考停止してしまうのは理解できます。

しかし、思考停止は事態を改善しません。事態を少しでも改善するためには、不安に対処するしかありません。わからないことに起因する不安に対処するには、自ら解決への挑戦をするか、取り組んでいる人を信頼して任せて待つしかありません。

ALSは最先端医療の領域なので、素人がにわかに取り組むことはできません。日本と世界で頑張っている医療関係者を信頼して、役に立つ成果が出てくるのを待っています。

難しい医学的な内容であっても、元研究者のならいでしょうか、未知の事柄には一定の好奇心がわきます。どのような研究者がどのような視点で研究をしているのか、インターネットで調べられるので、時間があるときに眺めています。また、自分が参加できる研究・実験があれば、喜んで参加して医療関係者から知識を教わりたいと思ってます。

 

一方、だんだんと健常者との違いが目立ってきます。知らない人がいる前で話すのは気後れしますし、そろそろ車いすを使う時間も増えてきそうです。そんな時にも、相手の顔を観察するようにしています。この人は障害者に対してどういう態度をとるのかな?という心理学的な好奇心です。

最近は自分も障害者らしく振る舞うことにすこしずつ慣れはじめていて、世間は意外と親切だなと思ったりしています。そもそも自分は40代の間に、世間一般で良いとされてきたレールから着実に外れてきたので、周囲と違うことへの恐れが殆どなくなってしまっているのです。

好奇心が不安を軽減する

自分の関心分野を深く学び、関わる人の気持を推し量って、オリジナルな道を作っていく、というのは経営や事業開発の基本です。これまで経験して学び、多少なりとも他人に教えてきた内容を、再び自分に適用しているのが、いま、なんです。

これまで自分が置かれた環境に対する好奇心から始めて、自分が何を学べるかを常に意識してきました。今回も同じように取り扱おうと思っていることが、過度な不安や恐怖を抱かずにすむ要因となっているのだと思います。

ぜひ皆さんも、自分の中にある小さな好奇心を育てて、根拠の無い不安に対処してほしいと思います。