スイスで開催されたALS国際シンポジウムに参加してきました(後編:実行編)
スイス航空との攻防
こんな感じで、かなり順調に渡航準備は進んでいました。
11月頭からスイス航空の日本オフィスと連絡を取り始めて、医療機器と電動車いすの積載について情報提供を開始し、医師の診断書など定められたルールをクリアしていきました。
しかし、渡航直前の11月28日になって、コードシェア便ではスペシャルアシスタンスは提供できないというのです。しかたなく、ANAの予約をキャンセルして、スイス航空のサイトでチケットを取り直したので、35万円ほどの追加出費となりました。
また、機内持ち込みする医療機器5個のリストを英文に書き直して送りました。
極め付きは、12月1日金曜日の17時すぎに「人工呼吸器を2台用意しないと乗せられない」とのメールが来たことです。気力を振り絞ってすぐ訪問医師と人工呼吸器メーカに電話してもらい、翌日に持ってきてもらうことに成功します。
前泊する成田に向けて出発する12月3日の朝に、「すべての医療機器の持込みについて了解しました。」との連絡が来ていました。
出発は12月4日の12時10分でした。3時間前の朝9時にチェックインすると、「機内持ち込みする医療機器は、人工呼吸器とカフアシストの2つと登録されています」とのこと。内申は怒り心頭でしたが、カウンターの担当に怒っても意味がないので、以前送った医療機器リストのメールと、すべて了解とのメールを見せて、カウンターでの手続きを終えました。
バーゼルに着くまで
チェックインに2時間かかり、通関するともう搭乗時間でした。搭乗口カウンター前で、ペルモから機内乗り込み用車いすに乗り換えて搭乗です。
15時間のフライトはなかなか大変でしたが、ビジネスシートはフルフラットになるので、体にはとても楽でした。
チューリッヒ空港には1830に到着しましたが、空港を出たのは20時前でした。
ホテルはチューリッヒ空港直結のRadisson Blu Hotel Zurich Airportに泊まり、翌日のバーゼル移動に備えました。
翌日は8時にチェックアウトして、チューリッヒ空港駅からチューリッヒ中央駅に移動です。チューリッヒ中央駅からはインターシティという快速列車に乗り、1時間ほどでバーゼル中央駅に到着しました。駅からは10分ほどで宿泊先のバーゼル・マリオットに到着しました。
シンポジウムの様子
ホテルに着いた5日の夕方には、ホテルに併設するコングレス・センターのシンポジウム会場に入りました。ポスターの掲示をして、ウェルカムパーティに顔を出しました。
出番のポスターセッションは6日と7日の夕方でした。何人かが立ち止まって話しかけてくれて、視線入力パソコンで質疑に対応しました。
回答をパソコンに打ち込んで、それを読んでもらう形が意外と機能しました。入力に時間がかかりますが、皆さんじっと待ってくれました。
シンポジウムに参加されていた日本の先生方にもポスターを見ていただくことができました。また、先生方の夕食会にも誘っていただき、親しくお話くださいました。
バーゼルからチューリッヒへ
9日の8時に、ホテルに介護タクシーに迎えに来てもらい、バーゼル中央駅に向かいました。普通列車に乗ってチューリッヒに向かいました。
チューリッヒ中央駅から宿泊するSorell Hotel St. Peterまでは、徒歩で20分ほどでした。旧市街の石畳の中にあり、いかにもヨーロッパという風情でした。
自宅に帰るまで
10日の9時に介護タクシーに迎えに来てもらい、チューリッヒ空港に向かいました。
スペシャルアシスタンス用のチェックインカウンターにならび、電動車いすと医療機器の申告をしました。往路の情報が申し送られていて、あっけなく搭乗手続きは完了しました。
結局時差ボケが抜けなかった私は、現地時間13時、日本時間で21時の離陸早々にシートをフルフラットにして、10時間ほど爆睡していましたが、予定通りの朝10時に成田空港に着陸しました。
通関して荷物を受け取ったら12時を過ぎていて、16時頃に自宅に到着しました。
体の状態と介護体制について
私は発症から10年が経ち、四肢麻痺で発話もできませんが、積極的なリハビリのお陰で進行はかなり抑えられています。
私は就寝時のみ人工呼吸器を使用していますが、自発呼吸が十分あるので、実は一晩くらいは人工呼吸器を使わなくても問題がありません。
また、体を支えてもらえば数分は立位を取ることができます。このため介護のリスクと負担は低かったのです。
むしろ、英語がある程度できて、旅にありがちなトラブルを切り抜けられる交渉力のあるメンバが必要でした。大学4年生の次男が適任だったので、帯同してもらいました。
結局、この次男と妻と常勤の主任ヘルパーの3人で行ってきました。この体制については、一部から大変に心配されましたが、なんとか切り抜けることができました。
おわりに
ALSを発症して10年が経ちました。
誤嚥防止・気管切開手術を受けてからは、自分の経験を講演などでお話してきましたが、ついに海外でも発表することができました。
今回の私の渡航が、ALSや重度障害者の誰かの希望と勇気になれば嬉しいです。