Zen2.0にて藤田一照さんと対談しました
9月19日・20日に、鎌倉の建長寺からオンライン配信された、Zen2.0に登壇しました。
「禅・意識・身体 〜ALS患者とソマティック禅僧の対話〜」
と題して、曹洞宗僧侶の藤田一照さんと対談させていただきました。
冒頭に15分ほど自己紹介をさせていただき、ALS以前の略歴、ALSになってからの療養の経緯、ALS生活で私が心がけていることをお話しました。
ベンチャー企業をやめて独立を決心する旅の話も紹介しました。プレゼンの構成を考えるに当たり、この旅で徹底的に孤独になり、自分の心と向き合ったことが今につながっていると再認識できました。
「私が心がけていること」は好評だったので、後日ブログで紹介します。
続いて「10の質問」を用意して、お話しをいただきました。事前の打ち合わせでは、「1日あっても話しきれない」とお褒め?の言葉を頂いてしまったので、3つに絞りました。
少し紹介します。
「坐禅の不動性」について教えて下さい
- 我々は、歩行も手を使うことも会話もままなりません。
- 自由に動けないからだに対して、いつもがっかりしています。
- 健常だった過去にとらわれると、いつまでもこころが苦しいままです。
- 動かない・動けないことから、何が学べるのでしょうか?
「サポートを受け取る」とはどういうことですか?
- 我々は、家族や支援者から24時間の支援を受けないと生きていけません。
- それを受け入れられず、申し訳ない気持ちを抱えて生きる患者が多いのです。
- 療養生活がうまくいっている患者は、自分の状況を正直に伝え、支援してほしいことを発信しています。
- 「サポート」をうまく受け取るにはどんな心構えが必要でしょうか?
「在ること(being)」とはどういう状態ですか?
- 人は通常は意志の力で行動(doing)して、結果を得ようとします。
- ALSが進行すると、自分ひとりでは何もできなくなり、すべてに人の手を借りなければいけません。
- 人の手を借りるには、「在ること(being)」を感じてもらうことが大切と感じていますが、そもそも「在ること」に意思は入り込まないのでしょうか?
それぞれに藤田さんにお答えいただいたのですが、なかなかに深淵でうまく記せません。。。。臨済宗円覚寺の横田南嶺老師のブログが素晴らしいので、そちらをご覧ください。
事前に、藤田さんの著書の一つである「現代座禅講義」に目を通しました。
われわれALS患者の生活が紐解かれているようで、「ALS生活は禅の修行じゃないか? 」との直感は正しかったと思いました。
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この機会は、友人でZen2.0の共同代表の宍戸幹央さんの企画から始まりました。
動けない・喋れないALS患者に対談させる、という発想はなかなか勇気がいったと思います。
対談を引き受けてくださった藤田一照さんも、不安があったのではと思います。
お二人には感謝しかありません。
少し当日の裏話をすると、12時過ぎに建長寺に着いてゆっくり登壇(14:30)を待つつもりが、予想以上の渋滞にハマり14時前の到着になってしまいました。
スタッフの皆さんには、ご迷惑をおかけしてしまいました。この場を借りて、改めてお詫びいたします。
また、鎌倉でバリアフリーゲストハウス「彩り鎌倉」を運営する高野朋也さんと西郷コウタロウさんが、現地での移動サポートを引き受けてくれました。昨年、一昨年と「神経難病患者と一緒に鎌倉に行こうプロジェクト」を一緒にやってくれた仲間です。
最後に、藤田さんとのエピソードを紹介します。
ALSの告知を受ける少し前に、ゲリー・ボーネルさんと藤田さんのワークショップに参加していたのです。当時しゃがむと立ち上がれなくなっていたので、椅子に座って座禅のワークを体験していました。実は当時から宍戸さんから藤田さんのお話を聞いていて、お会いするチャンスと思い参加したのです。今回、改めてご縁がつながったわけです。
人生って素晴らしい、と改めて思いました。