シルクロードに行ってきた:トルファン(2)
トルファンは、天山山脈の南部とタクマラカン砂漠の北部を通過する、シルクロード天山南路の中継基地として栄えたオアシス都市であり、都市や仏教施設の遺跡が残っています。
トルファン二日目は、これら郊外の遺跡を見に行きました。夕方の列車でウルムチに向かうため、3時過ぎにはトルファン市街に戻らないとならず、あまり時間がありません。市場前のロータリーでタクシーを捕まえて料金交渉成立、便利店(コンビニ)で水とパンを調達して出発しました。
火焔山は実在した!:
トルファン市街から東に28Kmほど行ったところに、火焔山があります。東西に100Km、南北に10Km、平均海抜500m(最高851m)の大きさで、トルファン盆地の中央に横たわっています。地殻の褶曲運動によって沙漠らしい乾燥した赤土?がひだ模様をなし、夏場の陽炎によって火が燃えているように見えるため、この名がついています。トルファン盆地は海抜以下にある盆地なので、夏場は気温が50度近くまで上昇します。
火焔山
西遊記を読んだことのある方は、三蔵法師一行が火の燃えさかる火焔山で足止めされたエピソードを覚えていると思います。この火を消すことができる芭蕉扇を借りるために、悟空たちは羅刹女(鉄扇公主)や牛魔大王と戦い、無事に火を消して旅を続けたというものです。
子供の頃には全くの寓話としか思えなかった西遊記に、こうした実在の人物や場所がモデルとして存在し、実際に目にすることができたというのは、本当に素晴らしい体験です。
ベゼクリク千仏洞:
この火焔山の中腹に掘られた仏教施設がベゼクリク千仏洞です。交易をする商人に帯同した仏教僧が、シルクロードのあちこちに仏教石窟を作ったのですが、ここもそのひとつです。
6世紀にこの地に栄えた麹氏高昌国時代に開削が始まり、仏教を信仰した9世紀の高昌ウィグル帝国時代に最盛期を迎えたということです。現存する83窟は、この時期に掘られたものです。このため、当時のウィグル人の政治・文化・生活をを知るために貴重な遺産となっています。
ウィグル語で「絵のあるところ」を意味するベゼクリクは、簡体字で「柏孜克里」と書きます。残念ながら、ウィグル族がイスラムへ改宗するに連れて壁画が破壊され、残ったものも20世紀に入りドイツほかの探検隊が壁画を剥いで持ち帰ったことから、歴史的・美術的な価値は大きく損なわれてしまっています。
ここでトイレに行ったのですが、昔ながらの中国のトイレでした。旅行で行かれる方は覚悟したほうがいいでしょう(笑)。
高昌故城:
トルファン市街から約40Kmの位置にある城址遺跡です。ベゼクリク千仏洞からは約22Kmで車で30分ほどで到着しました。
すでに紀元前の漢帝国時代に高昌壁と呼ばれた砦が作られ、その後、前涼時代の高昌郡、麹氏高昌国、高昌ウィグル帝国の首都として、およそ1000年もの間、都として栄えたそうです。
周囲5Kmとそれなりに広い敷地の中に、土から作ったレンガで組まれた城塞が残っていますが、いまではすっかり朽ち果てています。4月中旬なのに25度を超える気温のなか、ロバ車に乗って遺跡を見学しました(40元)。
ウィグル人のお父さんは、観光客相手の日本語がちょっとだけできました。観光で食べているので、中国語はもちろん英語も日本語も勉強しているようです。いろいろなおみやげの売り込みを受けましたが、この高昌故城の小冊子だけを10元で購入しました。本には20元と価格が書いてあったのですが、「ロバ馬車に40元も払ってるんだから、10元じゃないと買わない」と言ったら折れてくれました。
この寺院ですが、四角い塔は修復されて綺麗になっています。壁にあるくぼみには、仏像が安置されていたそうですが、20世紀初頭にこの地を探検したヨーロッパ各国の探検隊が持ち帰ってしまったそうです。
葡萄溝:
火焔山とトルファン市街の間に、ブドウ畑が広がっています。この中にある観光施設を覗いてみましたが、4月中旬ではブドウが生っていることもなく、ちょっと寂しいですね。8月にはたくさんのブドウのふさが垂れ下がる中、ブドウ祭りが開かれて多くの観光客が訪れるそうです。
——
この後は市街に戻って市場で昼食をとり、最終目的地のウルムチへ向かいます。