さよなら大連
大連の冨麗華大酒店(フラマホテル)で朝食をとりながら書いています。
フラマホテルは、昨年5月には北の将軍様も泊まったという由緒あるホテルです。一昨年にできたインターコンチネンタルホテルにNo.1の座を奪われてしまいましたが、それでも大連トップクラスのホテルです。
フラマホテルは、2006.9に初めて大連に来たときに泊まった、私にとって思い出のホテルです。その後は一度も泊まることなく4年間あまり、大連・東京の二重生活を送ってきました。今回の滞在で、すべての業務を完了したので、最後の思い出と自分へのご褒美に、もう一度泊まることにしました。
2階のレストランからロビーを眺めながら、この4年間を簡単に振り返ってみました。
2006.9 ~ 2007.4
初めての中国に、たった一人で送り込まれて、現地の人の支援を得つつ、なんとか創業にこぎつけたころです。
ホテルは高いのでマンションを借りて、普通に中国人の中で生活を始めました。
生活用品もすべて現地のスーパーで試行錯誤しながら揃えていきました。
周囲の人が、なんの偏見もなく普通に親切なことを知りました。
このころは、中国語も殆どできず、筆談でサバイバルしていました。
2007.7 ~ 2008.8
半人前の開発チームに、本社からどんどん仕事を流して、OJTしながら製品開発へ参加させていたころです。プロジェクトがあちこち燃えながらも、現地社員のやる気と努力でなんとか業務を遂行していましたが、本社側にはずいぶん迷惑をかけた時期でしたね。
ようやく中国の学校教育やエンジニアの特徴、市場でのキャリアパスが大体理解できたころです。
安易な転職を防ぐために2-3年単位の労働契約期間を設定するのが一般的でしたが、これを廃止し会社の魅力で長く働いてもらう方法を色々模索した時期です。経営について一番考えていたころで、もっとも自分が成長した時期だと思います。
このころは、どんどん社員と会社が成長するので、とても面白かったことを覚えています。初めての社員旅行もこのころ実施したのですが、今の日本と異なり、みんなで一緒に遊びにいくのを、社員みんながほんとうに楽しんでいたのが印象に残っています。
中国語の勉強をちょっとやってはちょっと休むの繰り返しながら、多少できるようになって、外出時にメモが要らなくなりました。現地での友人や、日本人駐在員の知り合いもできて、現地生活を楽しんでいたことを思い出します。
2008.9 ~ 2009.3
製品開発以外にも複数の開発プロジェクトを抱え、一番苦しい時期でした。しかし、連日の深夜残業、休日出勤、春節を短縮しての出勤など、出荷目標を達成するために、社員がよく頑張り何とか切り抜けることに感銘を覚えました。
東京での仕事が多くなり、大連滞在時間を減らさなければならず、社員とのコミュニケーションが減ってしまった時期でした。現地社員が力を合わせて協力するようになり、このころから、自分たちの会社という意識が芽生えて、勝手に成長を始める一段上のステージに上がり始めました。
中国語を勉強する余裕はほとんどなくなりましたが、2008.12に試しに受けたHSK2級(初級レベル)に合格してしまい、
とても嬉しかったことを覚えています。(ほんとに初級なので、人に言うレベルではないのですが)
2009.4 ~ 2010.3
某大手通信会社グループの傘下に入り、ベンチャー企業的な会社のあり方を変化させていた頃で、多くの混乱のなかでみんながよく対応して、いろんな面でさらに成長した時期です。
この時期も東京での仕事が多く、なかなか大連に行くことができず、skypeで現地社員と話し合いながら
経営をする苦しい時期でした。
わずかな大連出張期間のなかで社員と交流するのが、激務の中での数少ない楽しみになった時期でした。このころは、全く中国語を勉強する余力がありませんでした。
2010.4 ~ 2010.12
2010年からは滞在期間を増やすことができたので、社員とのコミュニケーションも増え、いろんな施策を進められるようになりました。
本社日本人エンジニアの出張指導も絡めて技術移管を進めました。社員が新しい分野を貪欲に学ぶ姿は頼もしく、本社側メンバとの関係もドンドンと良くなっていきました。
夏には北朝鮮国境近くの丹東に社員旅行に行ったのも、楽しい思い出です。
時間に余裕があったので、中国語の勉強に時間を割き、基本会話がある程度できるようになりました。暇を見つけて、中国国内一人旅で北京・上海/杭州・西安を旅行しましたが、これに味を占めて、もっといろいろ奥のほうに行きたいと思うようになりました。
そろそろ創業時に思い描いていた一人前の開発会社の形になってきたので、夏ごろから考えはじめて、後任に引き継いで次の道をすすむことを決心しました。
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先週末に、社員みんなで送別会を開いてくれたのですが、別れるのが寂しいと言って、何人もの社員が泣いてくれました。
できなかったことがたくさんありましたが、誠実に精一杯仕事をしたつもりです。言葉の壁はありましたが、対等な関係で一緒に成長しよう考えてやってきたことを、受け止めてくれたようです。また、日本人に対する偏見があったけど、すっかり無くなったと言ってくれた社員もいました。
いまはとても寂しい気持ちですが、これまでやって来たことは間違いなかった、と思えました。これからの道を進むときの自信になります。
とりとめもなく書きましたが、書き始めると色んなことが思い出されます。中国のことをあまり知らない人たちに、もっと知ってもらいたいと思うことも思い浮かびます。
これから何回かに分けて、ひとつひとつ書いていきたいと思います。