映画「ソーシャル・ネットワーク」を見てきた
話題の「ソーシャル・ネットワーク」を、六本木ヒルズのTOHOシネマズで見て来ました。
仕事でなんども行った場所ですが、映画を観るのは実は初めてで、新鮮な気分でした。
この映画ですが、ベンチャー企業の発生から成長の経験を追体験するような、スピード感のある映像には好感を持てました。また、さりげなく散りばめられた起業家への応援メッセージ(と私は感じた)も興味深かったですね。ゴールデングローブ賞で4部門受賞するだけのことはあります。
実はフェースブックの創業物語はあまり知らなかったので、なるほどこういう裏話があったのね、と思いながら見ていました。エンターテイメントなので、なにごともセンセーショナルに描かれていますが、成長するベンチャーには多かれ少なかれ、このようなストーリーはつきものだと思います。(現実はあそこまでセンセーショナルではなかったようですが)
登場人物はたくさんいますが、マーク・ザッカーバーグという技術の天才である起業家を、次の3名にそれぞれの視点を与えて引き立たせる役割を持たせていますね。
- エドゥアルド・サベリン: 友情とその限界
- ショーン・パーカー: 欲望とその制御
- ウィンクルボス兄弟: 着想とその実現
市場が存在しないところに、新しいサービス・新しいビジネスを成り立たせるべく奮闘するのがベンチャー企業です。このため、起業家は普通のビジネスマンとは異なるモチベーションや視点を持っています。映画では、オタクであるがゆえに周囲に認められないことのコンプレックスであるように描いています。実際は分かりませんが、こういう動機がモチベーションになっている人も現実にいるでしょう。
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起業家は異才の持ち主であり、良いパートナーがいてはじめて才能を発揮できます。マークにとってはそれがエドゥアルドでした。
ベンチャーに段階的な成長は無く、いくつかのステージで捉えられます。常に新しいステージに上がるために、階段を飛び上がることを要求されます。周囲のメンバも含めて、このジャンプができるかどうかが常に問われます。
常識の範囲で飛べるステージはやって来ません。その飛び越え方は当事者が考えるしかなく、時には周囲に理解を得られないこともあります。エドゥアルドは、シリコンバレーに移るという決断に付いていくことができず、その後の判断がおかしくなってしまいます。
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起業家がビジネスの専門家とは限りません。目指す企業価値は10億ドルだと言って投資家からお金を集めたショーンは、次のステージに上がる時期にマークに引き寄せられた人ですね。
非常識なディールを行うには、非常識な感性が必要なのかもしれません。ショーンは、欲望とベンチャーキャピタルへの復讐がその原動力だったので、復讐を完了した後に欲望に飲まれてしまう。
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ネット上には様々なアイデアが溢れています。しかし、これを形にして成長させ続けるには、アイデアを形にして動かしていくためのたくさんのスキルが必要です。
ウィンクルボス兄弟は、アイデアを盗まれたという。でも、マークが言ったように、アイデアを形にして始めて価値があるのであって、形にする能力を持たなければ「画に書いた餅」でしかない。
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独創的なソフトウェアやネットサービスの開発は、工業製品ではなく芸術作品と考えないといけないと思うのです。こんな絵をかいてほしいという芸術家のパトロンが、芸術家の創作物をアイデア盗用とは言いませんよね。モノづくりへの敬意があるから。
マークは、訴訟のヒアリング中も「フェースブックのことだけ考えていたい」という理由で、質問には答えるが議論はしないと言い放ちます。これこそが、他の3人に欠けていた、自分の作品に対する深い愛情です。
3人の役割は、新しいサービスが生まれて成長するためには必要なものだったけれども、持続的かつ巨大に成長するための要素は誰一人持っていなかった。
そして、世間の多くの人はそのことを理解せず、「彼は変人だから」で片付けて、その羽根を折ろうとしてしまう。
芸術には深い理解と愛情が必要なのです。願わくば、こうした起業家がもっと愛されて育てられる社会に、すこしでも近づくように少しでも貢献したいと思った次第です。