決心のしかた(2)

父からの手紙

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周囲の声や世間の常識に惑わされない

こうして自分の感情を捉えたとしても、現実はさまざまなブレーキをかけてくる。決心には、こうしたブレーキへの対応も必要になる。僕は39歳で転職を決心したわけだが、35歳転職限界説がまことしやかに言われていて不安はあった。また当時、長男は小3で次男は幼稚園、自分で言うのもなんだが会社でも高い評価だったので、常識では転職などあり得ない環境だった。

しかし、心の底から環境を変えるべしという声が聞こえてくるのだから、それを封印することも難しい。実は当時、自分の気持ちに気づいてしまったために現実とのギャップに悩み、数ヶ月精神的に参ってしまったことも決心の一つの要因になった。そこまで追い込まれないと決心できなかったくらい、意思決定には慎重だったのだ。

いざ転職先が見えてくると、世間の常識が裏返しになって不安として襲ってくる。不安は、なぜ不安なのかがわからないと、ますます不安になる。自分の不安が何かをじっくり考えてみると、「大企業体質の40歳目前のオジサンがベンチャーでやっていけるのか」、「自分はほんとうに難しい開発をリードできるのか」、に集約できたが、これは勇気の問題であると気づいた。

先に書いたように、勇気がなくて仕事を変えたことがこの状況を生んでいるので、ここは立ち向かうしかないと自分に言い聞かせた。

そうは言っても不安が消えなかったのは、「失敗して家族を路頭に迷わせるのではないのか」が根底にあったからだ。なので「失敗しても年収半分くらいの転職はできるだろう、そのくらいあれば最低限の生活はできるだろう」と自分を説得した。

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心の声に従って行動するとき、世間が良いとするレールを外れる行動につながることが多い。そんな時は世間の常識は不安を駆り立てるものであって、決心をサポートしてくれることはない。だから、決心を一歩先に進めるためには、

  • 不安を乗り越える「勇気」が持てるか
  • 自分が納得できる「リスクの範囲を限定する」ことができるか

がカギとなる。こうした不安を乗り越えてでもやりたいと感じているかを、じっくり自分に問いかけるべきだ。

なにがあっても逃げずに取り組めるか?

さて、こうやって自分の気持を整理していくと、ついに素晴らしい将来が開けるように感じるかもしれない。しかし、それは行動を繰り返すことでしか実現しない。実はこれまでの逡巡は単なる悩みであって、実際に行動に踏み切れるかが大きなハードルだ。

その時にもう一度確認しておきたいのは、「なぜ自分はそうしたいのか?」である。単なる感情だったものが、自分の不安や周囲の雑音に対する気持ちの整理をする中で、思考として整理できていると良いだろう。

※私は、感情も論理的に紐解かれないと気持ちが悪い性分なので、個人差はあって良い。

その行動は、自分ができるものなのか? もしできないものであれば、できるようにならないといけない。どうすればできるようになるのか、自分はそれを身につける努力ができるのかよく考えよう。よく考えて、やれる・やりたい・やるしかない、となればGOだ。

行動を始めると障害の1つや2つは発生する。目標が大きければ数えきれないほど現れる。時には、先に述べた「限定したリスクの範囲」を超えてくる。動機付けが弱いとそのどこかで挫けてしまうし、予想を越えた事態が起きると逃げ出してしまうこともある。世間の常識に惑わされず、心の声に従って行動するのだから、途中で挫折したり逃げたりしない方がいいに決まっている。

自分は逃げずに障害に立ち向かえるのか、最低3回は問いかけてみよう。自分の心のなかにある勇気が見えて、不安がすべて周囲の雑音であると思えたなら大丈夫。成功すれば、今の自分からは想像できないような体験が得られるだろう。

残念ながら、決心して行動しても、どうしても上手くいかない時がある。自分ができることでベストを尽くしているなら、人生がひっくり返るような事態にはならない。自分がコントロール出来ないことがもたらした結果は、そこから何かを学べという啓示なのだ。

しかし、努力の余地があるのに逃げ出してしまった場合は別だ。周囲は見ている。あと一歩で成功の手がかりに手が届いたかもしれない。だから、「自分がそうしたい」事柄に挑戦する限り、「何があっても逃げない」と決めないといけない。これが、「決心」の本質だ。

おわりに

我が身を振り返ってみると、30代中盤で研究所から事業部に移る決心をしたことで「世界最高のベンチャー企業と仕事をして、大きな利益を生み出す経験」、40歳目前に大企業からベンチャーに転職する決心をしたことで「中国で子会社を作り、優れた組織を生み出す経験」ができた。

これは、世間に知られている素晴らしい経営者に比べれば些細な成果だし、実は自分の目標とずれている部分もあったのだ。でも、きっとその感覚自体が「世間の雑音」にとらわれているだけなのかもしれない。階段を1つずつ上がっていったことを喜ぶべきだと、50歳を目前にして感じている。

なお、こういった素晴らしい体験の裏には、多数の失敗が隠れている。それらについてもいずれ書いていきたい。