タイ編 〜 アユタヤー

アジア旅行, 世界遺産

2011東南アジア旅行:タイ編:アユタヤー(2011/03/01-02)

 

バンコクでワット・ポーをみた後は、タイ国鉄に乗ってアユタヤー(Ayutthaya)に向かいました。

アユタヤーは、14−18世紀に栄えたアユタヤ王朝の首都です。17世紀にはクメール王朝を滅ぼしましたが、逆に18世紀にビルマ軍の侵攻を受け、徹底的に破壊されました。

最盛期の反映を彷彿とさせる遺跡群が世界遺産に認定されています。

その昔、朱印船貿易で活躍した山田長政は、このアユタヤで活躍し没しています。

 

渡し船でゲストハウスへ:

アユタヤーは、中洲に作られた街です。天然の堀で囲まれた要害ということもでき、その昔に首都が置かれたのもわかる気がします。

タイ国鉄アユタヤー駅を降りて5分ほど歩くと渡し船があるので、これに乗って中洲にわたります。船着場を降りると市場があり、その中を10分ほど歩くとゲストハウスが立ち並ぶ通りに出ます。重い荷物を背負って2Km歩くのは結構しんどいです。

渡し船の様子

ゲストハウスに入ったのは午後4時半頃でした。アユタヤーの滞在時間は賞味20時間しかないので、トゥクトゥクを頼んで少しでも見ておくことにしました。また、翌日は自転車を借りて、近場をじっくり見て回りました。

アユタヤー市街がある中洲の左半分(2Km×3Km位)が、歴史公園になります。

ワット・マハータート:

14世紀に建てられた仏教寺院です。ビルマ軍に徹底的に破壊されており、あらゆる仏像の首がありませんでした。わずかに修復された仏像が、袈裟を着せられて静かに佇んでいました。

廃墟と化した寺院

一体で佇む仏像

榕樹に取り込まれた仏像頭部:

ワット・マハータートも、ビルマ軍に徹底的に破壊され、仏像は首から上がありません。こうして落とされた仏像の首の一つが、榕樹に取り込まれた状態で残っています。これが、アユタヤー遺跡で一番見たかったんですよね。

なぜここに頭部だけ置き去りにされているのか、ガジュマルの木がどんな風にして頭部を取り込んでいったのか、なぜ正面に向きあうようにディスプレイされているのか、歴史と自然が作り出す偶然を想像するだけで楽しくなります。

もしかしたら、写真の奥に見える仏像の頭部だったのかもしれません。

歴史公園内の史跡:

ワット・マハータートの他にも、公園内にいくつかの寺院を回ったので、以下に紹介します。

ワット・プラ・シー・サンペット:

アユタヤー王朝の王室寺院です。3人の王の遺骨が納められた三つの塔のみが健在で、ほかは跡形もなく1767年のビルマ侵略によって破壊されています。

三つの塔

残骸が残る周辺の様子

ワット・ラーチャブーラナ:

15世紀に8代王ボロムラーチャー2世によって建立された寺院でクメール様式の仏塔が特徴です。破壊と略奪の中にあって、1958年に隠し部屋にあった宝物が発見されたそうです。

ワット・ローカヤースッター:

ここには、寝仏があります。全長28mあるということです。この仏像も、破壊されていたものを1956年に修復したものだそうです。

公園外の史跡:

ワット・プー・カオ・トーン:

14世紀の終わりごろに建立された寺院で、中央の塔は80mの高さがあります。市街から少し離れた水田地帯にありますが、この塔に登ることで、アユタヤーの田園風景を一望することができます。

寺院全景

塔の上から見た田園風景

塔の上部に安置された黄金の仏像(金メッキ)

寺院から眺める夕日

雑感:

アユタヤーは、廃墟ではあっても中世の王国の発展を伺わせる遺跡が残っており、このような内陸の小都市が世界に名を知られていたということに感銘を覚えます。

現在は田舎の街にすぎませんが、短い滞在時間の中、遺跡や田園風景、周囲を流れるチャオプラヤー川など、ゆったりとした時間を楽しむことができました。